<2011年7月>
【取り返しがつかない時間】 2011年7月24日
「すべてのことは大事といえば大事だが、どうでもいいといえばどうでもいい」
「どのような考え方や主義主張も、そうともいえるし、そうでないともいえる」
最近特に強く、そんなことを思うようになった。
ホームページを更新する気になれなかった理由の1つでもある。
世間を騒がせるさまざまな問題も、実は自分に直接関係のないことばかり。
なるほどとうならせる名言も、別の角度から見ればツッコミどころ満載だ。
すばらしいことが書いてある本も、しょせんは赤の他人の「ゴタク」に過ぎない。
そんなことはないと反論できるのも、今自分がが生きていればこそ。
もし死ぬ間際なら、仕事も趣味も人間関係も貯金も政治も経済も事件もAKB48も「どうでもいい」はず。
中年以後はこの事実を一度じっくり考えておかないと、とんだ後悔をしかねない。
私が個人的に努力してきたことも、その意味では「人生のヒマつぶし」だらけ。
仮にあと1年で死ぬとしたら、英語にもカウンセリングにも格闘技にも、1分たりとも使いたくはない。
誰のためとも知れないブログで「ゴタク」をまき散らすことも、絶対にしないだろう。
以前のように本を出版したり、一部でちょっと有名になったところで、人生の残り時間がすり減らされるだけだ。
自己啓発系の指導的立場からスパッと身を引いたのは、人生のコストパフォーマンスが悪すぎるから。
「タイム・イズ・マネー(時は金なり)」ではなく、「タイム・イズ・ライフ(時は命なり)」なのだ。
では今47歳の私にとって、「大事なこと」「どうでもよくないこと」は何か。
あとで取り返しのつくお金や物ではなく、一度失ったら二度と「取り返しがつかない」ものは。
あなたにとって、それは何ですか?
私は、「大切な人と過ごす時間」だと思う。
「大切な人」とは、もちろん「家族」のことだ。
そして1つつけ加えるなら、その時間を豊かに味わうための「健康」だ。
家族と過ごすために、今日から1ヶ月間の「夏休み」に入る。
サラリーマンではあるが、春からの土曜出勤分に年休と週末を合わせて確保した。
「取り返しがつかない時間」を、心ゆくまで味わってこようと思っている。
*****
【男の器】 2011年7月9日(土)
サウナで見たテレビで、若い女性心理学者がこんなことを言っていた。
「レストランでなかなか注文を決められない男性は、実は器が大きいんです」
スタジオのゲストや観客からは、「え〜っ?」という声が上がった。
彼女によると、すぐ注文するせっかちな男は「器が小さい」のだそうだ。
心理学的には、「未解決の問題を保持する能力」が人としての「器」なのだという。
何を食べるか迷って決断を先延ばしにする男こそ、「器が大きい」ことになる。
そう言われてみればカウンセリングの現場でも、その意味で「器の小さい人」が多い。
一通り悩み事を話すとすぐ、「どうすればいいんでしょうか?」と結論を聞きたがる。
人間関係の問題は、イエスかノーで割り切れないことがほとんどなのに。
そういう私も、相手に対してズバリ答えたい欲求に駆られるタイプ。
相談をさっさと終わらせたがるカウンセラーって、たしかに余裕がなさそうだ。
宙ぶらりんの状態に耐えられない、器の小さい私である。
「清濁併せ呑む」、これが大人としての器に違いない。
マイナス面をかかえていても、そっと置いておく場所を心の片隅に持っていること。
それはそれとして、生活や人生を楽しめる能力。
だが番組では、ゲストが負けじとツッコミを入れた。
「じゃあ先生はデートで食事する時、ウジウジ迷う男を見てステキ〜とか思うんですか?」
動揺した女性心理学者は言葉に詰まり、思わず苦笑い。
学問上は「器が大きい」としても、生活者の見方からすると「優柔不断」にしか見えない。
現場の感覚とズレた「研究結果」も多いという話だ。