<2011年6月>

【夫のこづかいの減らし方】 2011年6月27日(月)

テレビで、妻が家計を節約するための、夫へのこづかいの渡し方の工夫を紹介していた。
大きく分けて、3つ。
(1)月払い、(2)週払い、(3)日払い。

こづかいの額が仮に(1)で月3万円なら、(2)が週7,500円、(3)が毎日1,000円となる。
無駄づかいをしない確率は、(3)→(2)→(1)の順となった。

始めにまとまった額をもらうと、ペース配分がわかりづらく、ついつい前半で使いすぎてしまう。
それに対して、その予算で過ごさねばならない目標が近いほど、少しでも残そうという意識が働く。

私の場合は(1)で、給料日に1ヶ月分をまとめて渡される。
たしかに今まで、月末に赤字となることが多かった。

そこでふと思ったのだが、日々の過ごし方も、似たような発想でやってみてはどうだろうか。

ある社会復帰施設の壁の張り紙に、「今日一日」と書かれていたのが印象に残っている。
先のことを思い悩まず、とにかく今日一日だけに集中して乗り切ろうと。
そういえば、聖書に次のような言葉がある。

「明日のことを思いわずらってはならない。
 明日のことは、明日思いわずらえばよい。
 その日の苦労は、その日だけで十分である」

今日のようなブルーマンデーには、つい、「ああ、また1週間の始まりだ…」となってしまう。
そこでものは試しに、「今日一日、今日一日…」と、ぶつぶつつぶやきながら過ごしてみた。
まあまあ効果は感じられたが、意志の弱い私には、一日先でも長すぎる感じがする。

そこで、例のこづかいシステムの応用編。
「今日の昼まで…」→「この1時間」→「次の30分」→「このさい10分」→「いっそのこと1分」。
そしてついに、聖書をも超える、オリジナルの深イイ言葉ができ上がった。

「1分後のことを思いわずらってはいけない。
 1分後のことは、1分後に思いわずらえばよい。
 この1分の苦労は、この1分だけで十分である」

「今・ここ・自分」の1分間。
これって、さらにつきつめると、「この瞬間」に集中するというレベルになる。
こづかいの減らし方から、なんと、禅の悟りの境地にまで達してしまった。

そうか、自分で勝手に課題を長いものにして、取り越し苦労をするから苦しいんだ。
ついでに過去からの「持ち越し苦労」も断ち切って、これから先を自分の中で短く止める。
ささやかな目標達成を重ねることで、最終的には一生につなげることこそ、人生の極意かもしれない。

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【問題が解決したら困る】 2011年6月24日(金)

ある著名な精神科医が、重度の精神病にかかった女性患者について語った。
「もし手を触れただけで彼女を治せたとしても、私はそうはしないだろう」
彼女は非常に辛い現実に耐え切れず、幸せな幻覚の中に逃げ込んでいた。

怪我や病気は、治ったほうがいいと考えるのが普通だが、必ずしもそうとは限らない。
人生の悩みや問題も、ただ解決すればいい、という単純なものでもない。
下手に解決してしまって、事態がさらに悪くなることもあり得る。

少し前に対応した、ある女性のケースがそうだった。
プライバシー保護のため、編集した形で紹介する。

母親はテンションが高く、明るく元気な自称「天然」で、娘は不登校の引きこもり。
ポジティブでプラス思考の母親が、娘のエネルギーまで使っているような印象を受けた。
母親は娘の不登校を治すために、心療内科を転々としていた。

結果から書くと、私が相談を受けてしばらく経って、娘は別人のように登校し始めた。
その後、一日も欠席はなく、成績も友人関係も良好。
そのきっかけは、本人の希望で母親から離れ、寮生活を始めたことだった。

問題が解決したのだから、一件落着のはずだったが、それでは終わらなかった。
母親にしてみれば、自分が関わらなくなったことで、娘の不登校が治ったようなものだ。
自分を頼らなくなり、前向きに変わっていく娘を見て、別のショックを受けた様子だった。

母親は今でも、「娘はまだ悩み続けている」のだと訴えてくる。
放課後になると寮までやって来て、カウンセリングやお祓いに連れて行こうとする。
心機一転でがんばっている娘のほうは、そんな母親に困惑気味だ。

母親は無意識のうちに、「解決してしまっては困る」と、焦っているように見える。
娘のことで悩み、あちこち相談することで、自分の存在価値を支えてきたのかもしれない。
せっかくの?問題を奪われて、パニック状態に陥っていると思われる。

私たちも無意識のうちに、彼女と似たようなことをしていないだろうか。
「病んでる」などと言って、次々と悩みのタネを見つけてきては、いつも落ち込んでいる人。
それをやらないと、ある意味、他人とつながるための「話題」がなくなってしまうかのように。

この奇妙な心理から学ぶとすれば、「多少のマイナスは人生の必要悪」ということではないか。
すべてがあまりにうまくいき過ぎていると、人はかえって不安になるものだ。
肉体的にも精神的にも、ちょっとだけネガティブな部分を持つことで、意外なバランスがとれたりする。

たとえば私は、低血圧で疲れやすく、しょっちゅう風邪をひいたり、長年虫歯に悩まされている。
いくつかのトラウマをかかえていることもあり、フラッシュバックでパニック気味になりやすい。
しかし、それらに気を取られるからこそ、トータルで「そこそこ」をキープできているのかもしれない。

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【心のチャンピオンベルト】 2011年6月21日(火)

押忍(オス)、突然ですが自分、腹筋割れてます。
胸板は厚く、背中は逆三角形で、まず47歳の体には見えないだろう。
英語やカウンセリングの仕事には何の関係もないが、なぜか昔から筋肉にはこだわりがある。

温泉に行くと、実は9割以上の男が腹が出ていて胸が薄く、尻がたれて足がひょろい。
普段はスーツで体型をゴマカせても、脱げばすべてがバレてしまう。
健康である限り、あんなダラシナイ体には絶対なりたくない自分がいる。

大学の先輩で、空手(K-1)の角田信朗さんは、極限まで鍛え抜いた強靭な肉体を誇る。
どこから見ても強そうな人なのだが、実際は若い頃から、とても繊細な心の持ち主だった。

最近のブログでは、過去のストレスによる過食嘔吐を告白。
リストカットや自殺にも理解を示し、心の病で苦しむ多くの読者の支持を得た。

角田さんは、次のように語る。

「今の僕の自信は、精神力ではない。
 精神は形のないもので、心身のバランスが悪いと、どんなに格闘技や武道で鍛えていても、驚くほどもろい。
 だからそんなものには、いまだに自信が持てない」

「でも、ぶ厚い胸板や、盛り上がった肩、太くて血管が浮き出した腕、6つに割れた腹筋。
 他人から見たら賛否は真っ二つだが、主観的には、人から一目置かれる自信につながる」

「スーツを脱いで裸一貫になったとき、金をいくら積んでも買えない、生の鎧に身を身を包んだ自分。
 これだけが、僕の自信の軸だ」

「格闘技の強さは相手あっての比較論だが、肉体を維持するのは、自分との闘いだ。
 これが今の僕の、強力なモチベーションになっている」

「この肉体をさらに進化させたいという目標があるから、食事やトレーニングを含めた節制ができる」

これを読んで、角田さんとはレベルが全然違うが、私も同じ感覚を持っていることに気づかされた。
自分の精神力とやらがアテにならないことは、今までイヤというほど思い知らされてきた。
体調ひとつ、体の痛みひとつで、気合や根性なんて霧のように消し飛んでしまう。

精神的に弱い現実の自分は、ありのまま受け入れるしかない。
しかし男として、自信という名の刀だけは、常にサヤの中で研いでおきたい。
そうなるとこれはもう、筋肉を鍛えるしかないではないか?

格闘技だ何だといったところで、現役を退いて久しい今、他人との比較には何の意味もない。
残されたテーマがあるとすれば、角田さんの言う「自分との闘い」のみだろう。
その「試合」に勝った心のチャンピオンベルトが、目に見える鋼の肉体というわけだ。

別に今さらこの年で、体型なんか多少崩れてたって、誰も笑いやしない。
中年オヤジ同士で、「いや〜、メタボまっしぐらで」と苦笑いするのが許されるほど、運動しない人だらけ。
だからこそ、あえて、そこに反旗をひるがしてみたい。

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【ブルーな月曜の過ごし方】 2011年6月13日(土)

過去5年間のデータを見返すと、カウンセリングの来談者は、月曜日に集中している。
明らかにというか、極端といっていいほど偏っているのだ。
逆に週末前になると、ある意味現金なもので、ほとんど相談はない。

月曜日の朝がくると憂うつになる、「ブルーマンデー症候群」という心の病がある。
前夜から熟睡できないまま目覚め、体調がすぐれず、学校や会社に行けない症状だ。
「また一週間が始まる」というプレッシャーが、ストレスになるためといわれている。

調べてみると、自殺者の数は、未遂も含めて月曜日がいちばん多い。
緊張して血圧が上がるためか、脳卒中や心筋梗塞の発症率も高い。
人身事故の件数が増えたり、月曜日に作られた製品に故障が多いことも知られている。

そういう私は、それと似たような「サザエさん症候群」。
日曜日の夕方あたりから、妻に「働きたくないよ〜」と愚痴が始まる(毎週スマぬ)。

いちばん仕事を辞めたかった頃などは、日曜の朝、目覚めた瞬間からゲンナリ。
名づけて、「関口宏のサンデーモーニング症候群」だった。

問題があるなら、対策を考えねばならない。
無理にテンションを上げず、週末モードから社会復帰するリハビリと考え、ゆる〜くスタートする。
たまった仕事にふり回されないよう、呼吸も歩き方も、話すスピードまでゆっくり。

水曜くらいにようやくエンジンが暖まり、木曜あたりからぼちぼち通常走行。
いよいよトップギアが入るのは、金曜の夕方以降となる(笑)。

そう心がけていても、低エネルギー体質のため、月曜の仕事が終わった時点で疲労困ぱい。
家族をガッカリさせないように元気なフリをした結果、夜は30秒で爆睡してしまう。
低血圧でもある私のようなタイプには、他の人とは違った戦略が必要だと痛感する。

何かいい方法はないものか?
ネットで検索してみると、いろいろとユニークな意見が見つかった。

「私は月曜日になると、もう月曜だとうれしくなります。
 なぜなら、あと一週間は月曜日にならないから」

「日曜日を週の最後の休みではなく、週の始まりだと考えます。
 土曜日を休みだと自分の中で区切ると、日曜夜の気分の落ち込みが少し減ります」

そういえば以前、毎週日曜の夜に、他校の英語教師たちと勉強会をしていた時期があった。
サザエさんが「来週もまた見てくださいね〜、ンガングッグ」とピーナツをノドに詰まらせる頃、私たちはアメリカ人の大学教授を囲んで、難解な英文と格闘していた。
勉強会に行くのは気が重かったが、今思えば、当時はブルーマンデーを意識しなかった。

「日曜日の夜から仕事を始めると、ブルーマンデーがなくなる」
こう主張するビジネスマンは、けっこう多い。
現在の私の戦略とまったく逆だが、久しぶりに試してみる価値はあるかもしれない。

たとえ嫌な仕事でも、覚悟を決めて没頭したほうが、時間が経つのが早く感じられるもの。
何でもそうだが、サボるよりは一生懸命にやったほうが、かえって「ラク」だったりする。
ブルーマンデー症候群の対策には、意外なことに、攻めの姿勢が大事なのかもしれない。

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【幸せと喜びは別のもの】 2011年6月6日(月)

昨日紹介した津島さんの記事に感銘を受けたあと、民法テレビでエコに関する番組を見た。
GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)で注目されるブータン共和国を、男性タレント(嵐の相葉雅紀さん)が訪れる企画だ。
国民のなんと97%が「幸せ」と答えるという国に、私も以前から興味を持っていた。

一方でブータンは、GDP(Gross Domestic Product=国内総生産)の世界ランキングは、182ヶ国中156位。
要するに、経済状態やモノには恵まれていないが、精神面で満たされているということだろう。

しかし、なぜ…?
その理由が明らかになれば、日本人の私たちが現在置かれている状況に、大きな参考になるのではないか。

番組によると、ブータンには国から課せられた義務が非常に多い。
「自然環境と伝統文化を守る」ことが最優先されるため、世界初の禁煙国家を実現し、すべての観光客に政府認定ガイドがつきっきり。
建物のデザインも法律で定められ、国内森林60%を保持できるよう、使用できる木材は政府許可のものだけ。

学校や職場では民族衣装が義務づけられるなど、日本人から見ると、あれこれ決められて窮屈な印象がある。
しかし相葉さんが道行く人々に「幸せですか?」とストレートに聞くと、誰もが判で押したように、「ええ、幸せですよ(^_^)」と答えるのだ。
実は現地語で「あなたは人間ですか?」「ええ、人間ですよ(^_^)」と会話しているのを、字幕の日本語をごまかしてるんじゃないか、と思えるくらい。

特別な許可が出て、相葉さんはブータンの首相にインタビュー。
「首相は今、幸せですか?」というストレートな質問の答えは、シンプルながら感涙ものだった。
一国の首相がこんなことを言えるなんて、素敵なことだと思いませんか?

「ええ、幸せですよ」

「多くの人は、『幸せ』と『喜び』を混同していると思います」

「『喜び』は、感覚が満たされた時に感じるものです。
 味覚や嗅覚など、身体的なものです」

「しかし、この『喜び』は一瞬のもので、すぐどこかへ行ってしまいます。
 これは『幸せ』とは違います」

「『幸せ』とは、長く続くものです」

「私は、家族に恵まれています」

「そして、とても平和な国に住んでいます。
 今なお、自然が豊かな国です」

「だから私は、幸せだと思います」

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【不運と不幸は別のもの】 2011年6月5日(日)

数日前の新聞記事に、作家の津島祐子さんのコラム「被災者へ思う」があった。
「人間は自分の経験の枠から大きくはみ出たことはなかなか想像できないと言われますが、私も自分の経験したことを足がかりにして、今度の大震災で被災した方々の思いに近づくことしかできないようです」

津島さんは、30年近く前に8歳だった息子さんを亡くした。
現在でも子どもの存在は薄れることがないし、悔いも消えないという。

当時、夫を水死で亡くした経験を持つお母さんから、次のように言われたそうだ。
「どんな不幸に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ」
人間の力の及ばない不運は起こりうる、だからといって、その人が不幸だと決めつけることはできない、と。

この言葉を聞いたとき、津島さんは「奇妙なことに、ふと気が楽になった」という。
「ですから私も、被災した方々にこの言葉をお伝えしたくなりました。
 どのような不運の中にも、私たち人間にとって、不思議な希望はひそんでいるらしい、ということを」。

私の母にも、この言葉を伝えたい。
十数年前に母親を殺人事件で失うという、人生最大の不運に見舞われた母に。
当時は心療内科も少なく、私も勉強不足で、ろくなメンタルケアができなかった悔いが残っている。

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【私の人生のルーツ】 2011年6月4日(土)

先月のことだけれど、やっぱり書いておくことにしよう。
5月14日〜15日、福岡県の二日市温泉に、父を連れて一泊してきた。
旅館は創業150年、昭和天皇も泊られた「大丸別荘」。

終戦を迎えた、約60年前。
10代の父は命からがら、満州から両親と2人の弟と一緒に、船で博多港に引き揚げてきた。
すべての持ち物は、それぞれリュック1個だけ。

満州で家にかくまっていた男性が、せめてものお礼にと、二日市に家族を泊めてくれた。
彼は実は三井の役員で、温泉のある保養所が使えたのだった。
その後、一家は宮崎県延岡市の文字通り「マッチ箱」のような平屋に住み、2人の妹が生まれた。

今春のある夜、父と話していると、珍しく次のように言った。
「二日市温泉と聞いただけで、胸に迫るものがある。
 いつかみんなそろって、あの場所で温泉につかって、語り明かしたい」

父は中学の校長で定年退職し、天下りはせず、多くのボランティアで地元に貢献している。
趣味は囲碁くらいで、欲しい物は特になく、私の得意分野である外食にも興味なし。
体も丈夫で、親孝行のし甲斐がないというか、最もプレゼントの思いつきにくい人だ。

さっそく家に戻って妻に相談、2人分の資金を工面してもらったm(_ _)m
同時に、九州各地に散らばっている私の叔父や叔母たちに、内緒で連絡。
三井の保養所はすでになく、二日市温泉でいちばんいい宿を予約してもらった。


60年ぶりに兄弟姉妹そろって温泉泊
当時の写真を見ながら熱く語る父(左)

父が自分の家庭を持って以来、たぶん最大のサプライズ企画。
めったに感情を顔に出さない父も、あの夜は大いに驚き、感激した様子だった。
夕食では、「ありがとう、ありがとう」と何度も言い、楽しく酔っ払っていた。


5人での語らいは翌朝の喫茶室でも続く
珈琲を飲みながら父の背中を眺めていた


少年だった父が、あの日博多港の地を踏んだ瞬間は、今私がここにいるルーツだった。
もし父が満州から帰って来られなかったら、私はもちろん、息子も生まれていない。
父の思い出は、父の息子であり、息子の父親である私もまた、大切にしていきたい。

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