<2011年4月>

【心の四十九日】 2011年4月30日(土)

3月11日、東日本大震災。
大津波による、東北地方の壊滅的な被害。
あまりのむごさに、日本中が悲しみにくれた。

私は安易な言葉を控え、暗い気持ちで過ごすのみだった。
文章など書く気にさえならず、ホームページもストップ。
家族を失った人たちのことをただ祈り、ささやかな義捐金を送った。

その間、いくつか違和感を持ったことがある。
毎日のように朝から晩までくり返し流される、「前向き」なテレビCM。
よく知らないタレントのような人たちが、上から目線で「一緒に頑張ろう」「日本を信じてる」。

個人のブログやツイッターでの、情報拡散や募金活動の呼びかけ。
それ自体は「正しい」「良い」行動だし、今回はインターネットが役に立ったと聞く。
私の見方が悪いのかもしれないが、どこかに彼らの妙な「興奮」が感じられた。

この悲惨な状況の中、暴動も起こさず黙々と避難生活を続ける日本人。
その姿に諸外国が感銘を受け、日本の家庭や学校教育の質の高さが称賛された。
人々はお互いに助け合い、辛い日々にも、いくつかの心温まる瞬間が生まれた。

それらは「感動的なエピソード」として広まり、ネット上でも共感を呼んだ。
日本人の誇りを取り戻す機会ではあったが、やはり「外の人たち」の盛り上がりだった。
ひどいものになると、感動話を巧みに編集し、宣伝や商売に使うケースさえ見られた。

数日間はどのテレビチャンネルも、朝から晩まで災害報道番組のみ。
原発問題まで起きて、節電はもちろん、イベントものきなみ延期。
日本全体が、「自粛」ムードに覆われた。

ところが案の定、というと意地悪な書き方だが、間もなく様子が変わってくる。
「いつまでもこんな調子では、経済活動が沈滞してしまう」、そんな声が聞こえ出した。
今年最悪の言葉に私が選んだ、「自粛を自粛」が、ある地元新聞の見出しにあった。

まだ1ヶ月もたたないうちに、テレビにはまた、お笑いバラエティ番組が復活した。
都知事選はうやむや現状維持、自粛は終わりとばかりに、市長選の選挙カーが絶叫。
現場ではまだまだ大変な状況が続いているのに、「外の人たち」の生活の「復興」が優先された。

言葉は悪いが、「すぐ飽きる」「のど元過ぎれば熱さを忘れる」のが、日本人のたくましさではある。
ラフカディオ・ハーンは、「日本人のよさは、深刻さに欠けることだ」と書き残している。
この「たくましさ」が、戦後の焼け野原から、短期間で経済大国への復興を成しとげた。

しかし同時に、四十九日や喪中の慎みも、日本人の良さではなかったか。
忌明けまでの四十九日は、遊びや笑いを控え、酒肉を立って家にこもる。
喪中の一年間は、祝い事や行事を避け、静かに暮らす。

あれだけ多くの人々が、一瞬にして命を奪われたのだ。
家族を失った深い悲しみの、ほんの一部でも胸に感じながら、喪に服する期間がもっと必要なのではないか。
遠く離れていても、少なくとも心の中では彼らの辛い気持ちに寄り添い、少しずつ心を整えながら過ごしたい。

私の住む宮崎も、ここ数年は鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳噴火と連続して、決して元気な状態ではない。
東日本大震災報道で、ニュージーランド地震のニュースが消えたように、誰も宮崎に触れなくなっただけだ。
現在でも被害との闘いは続いており、テレビCMのようには、そう単純にポジティブな気分にはなれない。

東北も宮崎も、復興に向けて粛々と努力するしかないのだが、ひとつ疑問が残る。
「復興」とは、「元の通りに戻す」ことなのか?
それでは、今回の被災者の方々の辛く悲しい経験が、無駄になってしまうのではないか?

「本当に、あんな騒がしい社会でよかったのか?」
「今後もまた、同じように暮らしていいのだろうか?」

ここで一度立ち止まり、自分たちの生き方について見直し、改めて考える必要があるのではないだろうか。
その意味では、「自粛を自粛」どころか、ますます自粛する方向で生活すべきとさえ思う。
もちろん「経済活動を停止せよ」などという極論ではなく、もっと違う方法を探してみては、ということだ。

もちろん考えるだけでなく、ほんのわずかでも行動に表して、失われた命の教訓を具現化したい。
エレベーターでなく階段を、目の前の人に優しく、くよくよせずに笑顔をつくる、なんてことでもいい。
わずか1ミリでもいいから、何かを変えることによって、「意味」を残したいのだ。

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