<2011年12月>

【カウンセラー3つの驚き(2)】 2011年12月23日(金)

次に、(2)「“悩み”や“問題”には、メリットや得がある」について。

人間には生まれつき、「苦痛を避けて、快を求める」性質がある。
そして、いかなる態度や行動にも、快を得ようという「目的」がある。

「苦痛」や「快」の内容が人によって違うため、「あの人の言動は理解できない」となりがちだ。
しかしその人にとっては、それが自分なりの「苦痛」であり、「快」であることは間違いない。
Sの人とMの人は趣向がまったく逆だが、求めるものが「快」とうい意味では同じだろう(笑)。

ということで、悩みや落ち込みにもまた、隠された目的があると考えられている。
人間は自分に何のメリットも得もなければ、まずその行動を選ぶことはないからだ。
ではその「目的」とは、一体何なのだろうか?

その前に、「すべてはプラス面とマイナス面でワンセット」である事実を思い出したい。
自分の気持ちを無理やりごまかす、「プラス思考」「ポジティブシンキング」のことではない。
悪いことが起きた事実を受け入れず、不自然な負け惜しみを創作しても、ストレスがたまるだけだ。

そうではなくて、悪いことが起きると、「同時に良いことも発生している」事実に目を向けること。
落ち込んでいるときは「そんなものはない」と思いがちだが、探せば意外と見つかるものだ。
自己啓発セミナー的な質問にも、よくあるではないか。

この状況の中で、“素晴らしいこと”は何か?

相談者「もうこの問題には打つ手がありません。八方ふさがり状態、最悪です!」
私「たしかにキビシイ状況ですよねー。本当によく耐えてこられたと思いますよ」
相「先生、私、どうしたらいいんでしょうか?」
私「その前に、私自身の悩みを解決していただいてもいいですか?」

相「えっ?先生にの悩みって何ですか?」
私「息子と45も年が離れてるんです。彼が中学を卒業する頃、私は還暦ですよ?何とかしてください!」
相「そんなこと言われても、私は先生じゃないから、どうすることもできませんが」
私「ですよねー。私の人生に起きたことだから、私自身が向き合わないと」

相「先生、人に頼らず自分で解決しろっておっしゃりたいんですね?」
私「いやいや、私がこうしたらいいと指示するんではなくて、一緒に考えてみたいんです。とりあえず質問をひとつ」
相「先生お得意の、視点を変える質問ってやつですね。一応お願いします」
私「この一見最悪な事態にくっついてきた、“良いこと”がもしあるとしたら、それは何でしょうね?

私たちが話し合って発見した「最悪の中にある良いこと」とは、次のようなものだった。

・自分の苦手なタイプの人、性格の弱い部分、対応できない問題など、成長のための課題がわかった。
・今回の問題を乗り越える、またはやり過ごすことができれば、自信や経験として今後に活かせる。
・自分のことを心配してくれる、家族や友人の存在の、ありがたさを感じることができた。
・自分にはこうして話を聞いてくれる人、心を休める場所があるのだと、気づくことができた。
・他人から非難されると、なぐさめてくれる人も現れ、バランスをとるような力が存在することを学べだ。

相「結局、プラスにはマイナスが、マイナスにはプラスがくっついてるんですね。たまたま私はマイナスが先だっただけで」
私「お〜、そんな視点を得られたのも、今回の“良いこと”のひとつじゃないですか?」
相「カウンセラーって、何でもほめてくれるんですね。そういえば先生、『そのまま悩んどくのもアリじゃない?』ともおっしゃいましたね?」
私「ええ、悩みの解決法は常に3つ。(1)相手を変えるか、(2)自分が変わるか、(3)悩み続ける」

相「(1)より(2)のほうが時間がかからない、というのはわかりました。(3)は、さっきのバランスの話に関係あるんですか?」
私「その通りです!人は、問題があるから悩むんじゃなくて、実は、目的があるから問題をつくり出して悩むんです」
相「えっ、そんな話は初めて聞きました!目的って、メリットのことですよね?悩み苦しんで得することなんて、何もないと思いますけど」
私「悩んでさえいれば、自分が本当に向き合わねばならない、もっと大きな問題から目をそらすことができるじゃないですか」
相「…!」

*****

【カウンセラー3つの驚き(1)】 2011年12月22日(木)

カウンセラーとなって、5年が過ぎようとしている。
子どもから大人まで、毎年ざっと1,000件ずつ相談を受けてきた。
トータルで、約5,000件の悩みと向き合ってきたことになる。

この5年間を通して、驚かされたことが3つある。
カウンセラーの資格を取った頃には、考えもしなかったことばかりだ。
ベテランのカウンセラーなら常識なのだろうが、私は自身の体験から語ってみたい。

(1)“悩み”や“問題”は、悩みでも問題でもない。
(2)“悩み”や“問題”には、メリットや得がある。
(3)“悩み”や“問題”を、解決されてしまうと困る。

あえて変化球っぽい見出しにしてみたが、事実、80%以上の相談者にこれらの傾向が見られた。
その意味では、ずいぶん無駄なエネルギーを費やしてしまったなあと思う。
張り切っていた駆け出しの頃から、けっこう勘違いをしてきたからだ。

まず、「(1)“悩み”や“問題”は、悩みでも問題でもない」について。
中高生にありがちな相談を例にあげる。

クラスの中に嫌いな人、苦手な人がいる。
クラスになじめない、友だちができない。
担任や教科の先生の指導が、厳しすぎる。

だから教室に戻れません、学校に来れません。
そう訴えてくる子どもの気持ち自体は、決してウソではないだろう。
クラス全員が大好きで、雰囲気も最高で、どの教師もやさしいなら、たしかに楽だろうから。

それならと、訴えてくる「原因」そのものを、大人たちが取り除いてやるとする。
たとえば極端な話、別のクラスに移らせれば、人間関係も雰囲気もガラリと変わる。
原因がなくなれば、気分も一新して教室に戻るのではと、教師も親も期待する。

ところが残念ながら、ほとんどそうなることはない。
書き始めるとキリがないから省略するが、次から次へと別の「原因」を見つけてくる。
さらに対処すれば、その後も同じことをくり返し、エンドレスなイタチごっこが続くだけ。

では、本当の理由は一体何だったのか?
長い時間をかけて探っていくと、まったく別の“原因”が顔を出し始める。
「実は…」

勉強するのがダルイ、夜更かしで朝起きたくない、人とかかわりたくない。
第一志望の学校に落ちた、親友と別の学校になった、失恋した。
本当はいちばん多いのが、今話題になっている「発達障害」的傾向(コミュニケーション能力の低さ)。

逆に考えれば、とにかく教室には戻らないのだと、自分の中で決めてしまっているとする。
その場合、集団のもとへ帰してあげようとする「善意の人々」を、どうやって煙に巻くか?
そう、「責任転嫁」である。

自分自身の根本的な問題にふれず、表面的な「きっかけ」だけを訴えてくるから解決しない。
周りもそれにふり回され、「対処療法」のみに目を奪われて、「体質改善」を見過ごしてしまう。
相手や場所を変えようが、「変わらない自分」をそこに連れて行くのだから、結果はいつも同じだ。

このパターンに関しては、子どもだけでなく、大人にも同じことが言える。
大人の相談内容はさまざまだが、よくよく聞いてみると、夫婦仲がうまくいっていなかいことが多い。
その不機嫌をもとに物事を見るので、通常ならやり過ごせることが「許せない」「耐えられない」。

結論として、あえて極論すれば、次のようなことを心にとめておく必要がある。
「最初に訴えてくる悩みの内容は信じるな」
「その悩みの裏に隠された真の問題を探れ」

逆に相談者は、自分にこう質問してほしい。
「この問題が、不快感の本当の原因だろうか?」
「私自身は、この問題に何の関係もないのか?」

*****

【「目標設定」の限界】 2011年12月21日(水)

今、「逆転の人生」というタイトルの素人小説を書いている。
あくまでもフィクションで、登場人物などすべては架空だが、経験をもとに書いた私小説的なものではある。
主人公が離婚のショックから立ち直るため、一度だけと決めて参加した、自己啓発セミナーの様子を描いている。

いわゆる「成功」をめざすこの種のセミナーでは、必ずといっていいほど「目標設定」のワークをやらされる。
「思考は現実化する」「引き寄せの法則」「潜在意識の力」といった「法則」?に基づいたものだ。
まあはっきり言って、みんなそれらの怪しげなパワーを使って、「お金」を得ようと狙っているだけだが。

ところがその結果、その「目標」を達成できた人は、残念ながらほとんどいない。
セミナー参加に大金を貢ぎ続け、一部の有名講師だけが金持ちになって終わり(笑)。
この事実をくり返し見てきた私は、意識的な「目標設定」に大きな疑問を抱いている。

若く情熱的だった教師時代の、私の指導上の過ちを告白しよう。
まあ正確に表現すれば、過ちというより「偏り」かな。
当時の生徒たちよ、スマン!<(_ _)>

「ゴールのないマラソンを、走ろうという気になるか?
野球の素振りを毎日続けられるのは、甲子園という目標があるからこそだ。
具体的な目標を持って、そこから逆算して長期・中期・短期の計画に分けなさい。
そうすれば今何をすべきかわかって、やる気も出てくるんだ」

「目標はできるだけ明確に、具体的であるほどいい。
その目標を、紙に書きなさい。
そして毎日それを見つめて、できれば声に出して自分に宣言すること。
いつもその目標を意識していられるように、必ず紙に書くんだよ」

キャー、恥ずかし〜!
一見、正論のように思えるでしょう?
この理屈の、一体どこがおかしいのだろうか。

その答えは、「恋愛」のことを思い出せば見えてくる。
恋人にせよ夫婦にせよ、カップルが誕生するきっかけには、いくつかのパターンがある。
たとえば…。

(1)一目惚れ。
(2)お見合いや紹介。
(3)友人知人の中から。
(4)出会い系サイト。
(5)家同士の政略結婚。

これらに共通する恋愛のきっかけとは、「出会い」である。
そして、出会いのパターンは「人それぞれ」。
それなら、目標との「出合い」も同じことではないか?

そう、目標とは頭で考えてつくり出すものではなく、偶然や縁で「出合ってしまうもの」でもあるのだ。
セミナーや学校で「強要」される目標づくりは、今持っている情報の中から「選ぶ」だけの行為。
恋愛なら、(3)の「今いる人の中から選べ!」「その気がなくても恋しろ!」と言われているようなもの。

英語では、「フォーリンラブ(Fall in Love)」という。
いや、わざわざ英語を持ち出さなくても、日本語でも「恋におちる」と言うではないか。
恋愛は頭で「する」ものではなく、心が「おちる」ものである(オレ今いいこと言った?)。

彼女募集中とか婚活などの「意識的な行為」がうまくいかないのは、ここに理由がある。
「目標設定」についても、まったく同じことが言えるだろう。
目標との「出合い」を望むなら、妙なセミナーや本にしがみついてないで、今すぐ街へ出て行動範囲を広げることだ。

それがわかれば、目標を紙に書くなどといったバカバカしさにも気がつくはずだ。
忘れないために紙に書くわけだが、そもそも紙に書かないと忘れてしまうような目標なんて、何の意味があるのか。
惚れた相手のことは、わざわざ紙に書いたりしなくても(笑)、四六時中熱く想い続けるのではないか?

*****

【ソーシャルスキル】 2011年12月20日(火)

もう10年ほど前の話になるが、私の友人のアメリカ人が、個人で英会話スクールを開いていた。
そこに、今考えれば明らかに「発達障害」と思われる男性Aさんが入ってきた。
その後、経営者であった友人は、Aさんが引き起こすさまざまな問題の対処に追われ始める。

発達障害は外見ではまったくわからない、脳機能や精神面のアンバランスがもたらすコミュニケーション障害。
最近は児童生徒や学生に急増しているが、治療を受けずに発達障害のまま大人になった人たちも多く見られる。
本人の責任や親の育て方、学校教育の問題ではないとされている。

Aさんは、決して根は悪い人ではなかったが、いかんせん「空気が読めない」性質の持ち主だ。
職場でも学校でも「ヘンな奴」と敬遠され、いじめられ、うつ状態に陥ったこともあったようだ。
バイト先でも人間関係がうまくいかずクビになり、親の援助を頼って生活していた。

Aさんは特に英会話を習得したかったわけではなく、寂しかったのだと思う。
お金を払ってスクールに入れば、少なくともそこにいる時間だけは相手をしてもらえる。
流れと関係ないことを質問してきたり、練習中の人に話しかけるなどの「注目獲得行動」がしばしば見られた。

そのうち、女性たちから友人のもとへ、「あの人は気持ち悪い」などの苦情が寄せられるようになった。
現に何人かはレッスンに来なくなってしまい、経営面にも悪影響を与え始めた。
さらに、友人の秘書をやっていた女性に対するストーカー行為が始まり、私にも相談が持ち込まれた。

結果として、しつこいストーカー行為と会員からの苦情の多さを理由に、Aさんにはスクールをやめてもらうことになった。
当時は心療内科もほとんどなく、発達障害についても一般にはまだ知られておらず、適切な対応ができなかったのだ。
女性たちもAさんを嫌がるだけで、正しい情報に基づいた「ソーシャルスキル」(社交技術)を持ち合わせていなかった。

Aさんはその後も秘書に電話をかけ続け、怒った友人がAさんを呼び出し、かなり厳しい対応をとった。
たまたまAさんに「キレる」攻撃性が少なく、事件にはならなかったものの、あれはひとつの賭けだった。
しばらくは友人宅の窓や車に被害が続いたが、Aさんとは断定できないまま、一応の収束となった。

英会話スクール自体はそれで問題解決だろうが、そこを追われたAさんは、あれからどうなったのだろう。
好みでない人を排除するだけだった未熟な私たちとは違う、どこかの温かいコミュニティに受け入れられただろうか。
もし自分の子どもに発達障害があって、他人にあのような扱いを受けたら、親としてどれだけ悲しいことだろう。

今後の社会に生きる私たちは、身体障害と同じように、発達障害の人たちをきちんとサポートしていかねばならない。
少し詳しい人ならこの考えを受け入れられるだろうが、まだまだ周囲や社会全体の理解が足りないのが実情だ。
職場や学校、習い事や趣味同好の場においても、大人のソーシャルスキルの必要性がますます高まってきている。

*****

【「死を想え」への疑問】 2011年12月19日(月)

「もし今日が人生最後の日でも、その仕事を選びますか?」
週末に書店をぶらぶらしていたら、ビジネス&自己啓発書コーナーに、こんな感じのタイトルの本があった。
要は、「あなたは心からやりたい、やりがいのある仕事をしているか?」という問いだろう。

以前の私であれば、その場で「う〜ん…」と考え込んでいたかもしれない。
毎年同じレベルの生徒に英語を教えて、似たような内容の相談に時間を費やして、それでいいのか?と。
でも今日私が感じたことをそのまま書けば、「余計なお世話では(^^;」。

この手の質問は、アメリカなどで行われている「デス・エジュケーション」(死を考える教育)でなされるものだ。
いずれ誰にも訪れる自分の死を考え、そこから「逆算」「俯瞰(ふかん)」して、今の生き方を見つめ直すというもの。
私自身も、かつて学級担任として、ホームルームで取り上げたフレームワークのひとつである。

人生を無為に浪費しないという面では、すぐれた質問のひとつだと思う。
しかし一方で、その答えを気真面目に追及しすぎることは、必要以上の「焦り」につながるのではないか?
ほとんどの人は、「これぞ我が天職!」と断言できる仕事に就いて、日々ワクワクしてと働いてるわけじゃないんだから。

この質問は、次のことを前提としている。
「生まれた意味と使命が全員決められていて、それに従って生きることだけが正解」
しかし考えてみてほしいのだが、「それは本当なのだろうか?」。

もし人生が、あれこれ「迷ってブレて」(笑)生きるだけのためにあるのだとしたら?
この世でさまざまな体験をして、いろいろな感情を味わうことが目的だったら?
もし私が神サマなら、万能であることにすぐ飽きて、思い通りにいかない人間になってみたいなあ…と思うだろうから。

天命に従って天職に就き、一瞬一瞬を充実して過ごすのも大切なことだ。
その意味で、「もし今日が人生最後の日でも…」の質問は「正しい」。
正しいが、私にはさらに大きな意味を持つ質問があるのだ。

その質問は、自分をハッピーな気分にするのに役立つのか?

カウンセリングの場でも、憲法や法律で定められたわけでもないのに、自分で勝手に作り上げたルールに縛られた人が多い。
・他人の目を気にしなければならない。
・他人に迷惑をかけてはならない。
・他人との関係はうまくいかねばならない。
・中途半端ではいけない。
・逃げてはいけない。

次は正統なカウンセリングではなく、相談者と私の雑談の例。
最初からいきなり切り返すわけではなく、かなり時間が経って十分な信頼関係を築いてからの、ユーモアを含んだ会話だ。

相談者「問題から逃げてはいけないと思うんです」
私「この地球上で、天敵と出くわして逃げない動物なんていませんよ。じゃあ火事や地震でも、家から逃げないんですか?」
相「(笑)でも、神様はその人が乗り越えられない壁は与えないと言いますし…」
私「どこの神様からそんなことを言われたんですか?もし人間が言ってたりしたら、アンタは神かって話ですよ」

相談者「他人に迷惑をかけたくないので」
私「あなたはとっくに私に迷惑をかけてますよ。ただここにいるだけで、部屋の酸素を減らしてるじゃないですか」
相「(笑)でも、家族に話すと心配すると思うので…」
私「あなたって、傲慢な方ですね〜」

相「傲慢?普通、謙虚って言いません?(笑)」
私「いや、2つの理由で傲慢です。1つ、あなたは家族が心配する権利を勝手に奪っています。1つ、あなたは将来、他人から迷惑をかけられると、冷たい態度を取るでしょう。“迷惑をかけるのは悪”という価値観を持ってるんだから」
相「(苦笑)…なるほど。でも逆に、迷惑をかけることはいいことだ、とも言えないでしょう?」
私「私以上の理屈屋ですね、あなたは(笑)。わかりました、あなたが自分に課しているルールは、仮に正しいとしましょう。ただ、最後に1つだけ質問させてください」
相「何ですか?」

あなたが作ったルールは、あなたの気持ちを軽くしてくれますか?

*****

【バランス】 2011年12月16日(金)

硬貨のオモテとウラのように、本当に世の中はバランスで保たれてるんだな〜、と思うことしばしば。
私の知る限り、有名になればプライバシーを失い、金持ちになるほど計算高い取り巻きどもが増える。
安定した収入と引き換えに組織の歯車となるが、好きなことで独立してしまえば毎月の収支に頭を痛める。

デジタル全盛時代になると、アナログのよさを見直そうと主張する人たちが出てくる。
SFXや3Dの映画が増える一方で、「三丁目の夕日」のような古き良き時代をたたえる映画が流行る。
テレビはほんのこの前まで「無縁社会」などと騒ぎながら、今年を表す漢字は「絆」である。

平和主義者がいくら祈ったところで、今後も戦争が絶えることはないだろう。
そもそも平和主義者たちは、戦争を支持する人たちと「戦って」いることに気づいているのだろうか?
ややディープな視点になるが、「戦争と平和」でワンセット、バランスが保たれているともいえる。

前向きな言葉だけを使って、自分の気持ちがポジティブかネガティブか、2年間毎日記録をつけた人がいた。
それぞれを合計してみたところ、なんとポジティブもネガティブも、バランスよく「ほぼ同数」だったそうだ。
天気のように晴れたり曇ったりする人の感情に、言霊(ことだま)なんか関係なかったのだ(笑)。

カウンセリングの場ではなかなか言えないことだけど、子どもの友人関係のもつれについても同じことを感じる。
相談に訪れる保護者はやや安易に「いじめ」という言葉を使い、あくまでも被害者の立場から苦情を言ってこられる。
しかし親があまりに過保護に育てたため、いじめている?生徒がバランスを取ってくれているように取れなくもない。

私の妻は21歳下で、主婦として同世代と結婚するより収入が多く、夫婦仲も友人からうらやましがられるようだ。
だがその一方で、彼女が夫を早く亡くすであろう経済的・精神的リスクは、友人よりかなり大きいはずだ。
彼女は歳の差婚のデメリットも、メリットと同じくらいかかえていることになる。

するとうまくいくもので、さすがに40代後半にもなると、自分勝手だった私もそれなりに丸くなってくる。
モノやカネへの執着が減り、酒もタバコもやらない人畜無害の愛妻家がここに誕生、というわけだ。
自然とそうなることによって、私は無意識のうちに夫婦のバランスを戻そうとしているのだろう。

私の息子が「父親を早く亡くした子ども」になる可能性も、他の子どもたちより高いと思われる。
運命には逆らえないが、私は食事・睡眠・運動の健康管理に、他の同世代オヤジたちよりずっと努力している。
「いつでも死ぬ覚悟」ならぬ「いつまでも生きる覚悟」ができて、子どもと過ごす時間を仕事より優先する父親となった。

「人生山あり谷あり」だが、山ができるのが原因で同時に谷もでき、谷ができるのが原因で同時に山もできるのだ。
ということは、プラスが生まれた瞬間にマイナスも生まれ、マイナスが生まれた瞬間にプラスも生まれるといえる。
表だけに図柄があり、裏はのっぺらぼうの一万円札があるとすれば、それは明らかな「ニセ札」なのだから。

人間はプラスやポジティブだけいいとこどりして、マイナスやネガティブから逃れることは決してできない。
ただしマイナスの中にも、「雨降って地固まる」「反面教師」のたとえのように、必ずプラス面も見つかるはずだ。
何にフォーカスするかはともかく、結局のところ人生はプラスマイナスゼロのバランスで終わるのだろう。

ということは、私たちのとるべき態度はただひとつ。
バランスがとれていることに感謝する
物事をこのように受け止められれば、24時間365日感謝していられるではないか?

*****

【個人総幸福量】 2011年12月2日(金)

ブータン王国のGDP(国内総生産)は世界178ヶ国で158位だが(2008年調べ)、GNH(国民総幸福量)はなんと7位。
ちなみに日本のGDPは中国に抜かれたものの、依然3位をキープ。
しかし、日本人が感じているGNHは、果たしてどうだろうか?

GNHを調べる基準として、9分野7項目のチェックリストがあるそうだ。
その中で、個人の幸福に関する6分野からピックアップされたものを紹介する。
あなた自身が感じている幸福度が何ポイントか、ぜひやってみてほしい。

<健康>
・長期的に抱えている深刻な健康問題がない。
・早急に改善しなければならない健康問題がない。
・健康に問題が生じたときに医療機関にかかることが可能。

<お金>
・収入は日常生活を支えるのに足りている。
・日常的に食糧の不足を感じることがない。
・固定された住む家がある(借家含む)。

<学び>
・母国語において日常的な読み書きに支障を感じない。
・外国人に対してある程度のコミュニケーションができる。
・学問や文化、趣味的な活動において、自信を持って語れるものがある。

<人間関係>
・自分には無償で助けてくれる人が一人以上いる。
・自分には無償で助けたいと思える人が一人以上いる。
・自分は家族とある程度理解し合っている。

<時間>
・労働時間に不満を持っていない。
・充分な睡眠時間を確保しようと思えば可能。
・自由に使える時間を確保しようと思えば可能。

<仕事>
・自分の仕事に最低限必要なスキルを持っている。
・仕事において自分の役割を果たしていると思える。
・何らかの形で社会に貢献していると感じる。

…どうでしたか?
自分がすでに幸せだったことに、気づけたのではないだろうか。
ちなみに私は、“個人総幸福量”100%だった。

感謝しないものは、いずれ失われる。
感謝しているものは、ますます増える。
今の私は、そう思っている。

*****

【心の龍を養う】 2011年12月1日(木)

経済的豊かさの指標GDP(国内総生産)に対し、GNH(国民総幸福量)を国家理念としているブータン王国。
先日ワンチュク国王夫妻が来日し、国会で素晴らしいスピーチをした。
多くの人たちが、忘れかけていた日本人としての誇りを思い出したことだろう。

国王は東日本大震災の被災地にも出向き、現地の小学生たちに直接語った。
そのシンプルで力強いお話は、子どもたちの心にずっと残っていくはずだ。

自分の中にいる“龍”を養いなさい

私たち一人一人の中には、“人格”という龍が住んでいます。
その龍は、“経験”を食べて大きくなります。
私たちは年を重ねるごとに、強くなっていくのです。

「今回の困難を糧として、あなたの中に住む“龍”を大きく強く育ててほしい」
メッセージに込められた温かい気持ちが、国王の言葉ひとつひとつから感じられた。

来年は辰年。
私も年男だ。
自分なりの心の“龍”を成長させていきたい。

もどる