<2011年1月>
【たのしみは】 2011年1月31日(月)
「こんな生き方も素敵だな〜」と心ひかれるのが、歌人の橘曙覧。
・たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
江戸時代終わりに福井県で生まれ育ち、28歳で家業を弟に譲って隠棲。
短歌と国学に心を定め、57歳で亡くなるまで、家族とともに貧乏暮らし。
54歳のときに、藩主の松平春嶽に仕事を依頼されたが、なんと断ったという。
・たのしみは 三人の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時
当時は、いわゆる「花鳥風月」を詠んだ歌が多かった。
その中で、日常生活のささやかな幸せを詠む曙覧の歌は、異彩を放つ。
優しい目で家族を見つめる歌には、心に温かいものを感じる。
・たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時
妻の直子は、裕福な家に生まれたが、貧乏を苦にしなかった。
親戚から別れろとも言われたが、最後まで夫と子どもたちにつくした。
曙覧もまた、そんな妻への愛情を歌に詠んでいる。
・たのしみは 機おりたてて 新しき ころもを縫ひて 妻が着する時
「たのしみは…」で始まる「独楽吟」が一般に知られたのは、1994年。
天皇ご訪米の歓迎スピーチで、クリントン大統領が曙覧の歌を引用した。
・たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時
(It is a pleasure / when rising in the morning / I go outside and / find a flower that has bloomed / that was not there yesterday)
貧乏生活はしたくないが、気持ちの置きどころは見習いたいと思う。
特にこんな時代、「もっと、もっと」という生き方には、必ず無理がくる。
目の前の小さな奇跡に気づき、心の中で静かに手を合わせる自分でいたい。
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【書かずにいられないのか】 2011年1月28日(金)
「あなたの夜の最も静かな時間に、自分は書かずにいられないのか、とご自分にお尋ねなさい」(リルケ)
この言葉と出合った瞬間、ちょっとした衝撃を受けた。
夜中に目が覚めた時、私は実際に、「書かずにいられないのか」じっくり考えてみた。
約5分ほどで、意識を失ったが(笑)。
このひとつの問いは、文章を書き始めるきっかけにも、筆を折るきっかけにもなるだろう。
私はその少し前に、10年間続けたホームページ「文武両道」を閉じていた。
「書かずにいられなかった」日々が、自分の中で終わったと思ったからだ。
ついでに書くと、ブログもミクシィもツイッターもフェイスブックも、ぜ〜んぶやめた。
そこまでして仮想の場で大勢とつながっていなくても、充実した人生を送ることはできるからだ。
だが、その舌の根も乾かぬうちに、もうこんなホームページを始めている。
さらには、早くも負担になってきたというのだから始末に負えない。
タイトル通り、私いおパパは「迷ってブレて」いる(笑)。
家庭人として生きると決めた私にとって、自宅でパソコンの前に座ってばかりではマズイ。
家族と一緒に過ごす時間やエネルギーを、文章の体裁を整える程度のことで浪費すべきではない。
今度こそ、子どものわずかな成長の場面を見逃したくないのだ。
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【美味しい珈琲のいれ方】 2011年1月27日(木)
少なくとも宮崎ではこれ以上の珈琲豆は手に入らない、自家焙煎の店「ヒコ・エ・ニコ」。
究極までこだわるご主人と知り合ったとき、珈琲の「いれ方」を質問した。
学生時代からいろいろ試してきた、水やフィルターの種類、お湯の注ぎ方などだ。
「それも大事でしょうが、やっぱり“豆”ですよ」
そう言ったご主人が次に口にした言葉は、以後、教師である私の大きな教訓となった。
「ないものは、引き出せませんから」
当たり前のように聞こえるが、意外と忘れがちな事実ではないだろうか?
学校や家庭の教育においても、あらゆる人間関係や、自分自身についても。
ないものを引き出そうとして、何年も悩み苦しんでいる人が、どれだけ多いことか!
大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかなのに…。
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【普通でいることの勇気】 2011年1月26日(水)
現在の私のテーマは、「普通でいることの勇気」。
アドラー心理学の言葉だ。
私は若い頃から、「特別でいること」のために頑張りがちだった。
人とは少しでも違って見せようと、つい余計なことをしてしまう。
その結果、本当に大切なものを見過ごして、あとで悔やんだりもした。
手に入れたものがやけに虚しく見えて、ため息をついたこともある。
成功者やお金持ち、著名人になるには、それなりの手段がある。
「勇気」が必要なのはむしろ、「普通でいること」の決意のほうだった。
目立って活躍している有名人だけが、「すごい」のではない。
毎日働くサラリーマンや、家事や育児に追われる主婦こそ「ものすごい」。
地味だが、しっかりと地に足をつけて、家族のために淡々と仕事を続ける。
そういうちまたの生活者のほうが、実は「勇気がある」のだと知った。
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【何ができるか】 2011年1月25日(火)
ある夫婦の車が、歩道の縁石に乗り上げて困っている場面に出くわしたことがある。
私が道路に腹ばいになって見ると、車底が接触して、車輪が空回りしている。
そのことを夫婦に説明すると、「なるほど、そうなんですね」と納得していた。
そこに通りかかったオジサンが、古いクッションを重ねて車輪の下に敷いた。
車はあっという間に、もとの車道に戻った。
夫婦は喜んで、私とオジサンにお礼を言って去って行った。
果たして、私のやったことは何だったのだろう?
うまくいかない原因を見つけて、相手に教えることはした。
一方オジサンは、とにかく目の前の問題を解決するための行動をとった。
カウンセリングの場面でも、似たような手法の違いが見られる。
あるカウンセラーは、過去にさかのぼって原因を探し出す。
別のカウンセラーは、これから何ができるかを一緒に考える。
家族関係やトラウマが原因だとわかっても、なかなか現状は変わらない。
なぜなら、タイムマシンに乗って過去を変えに行くのは不可能だからだ。
できるのは責任追及か、過去に対する見方を変える努力くらいだろう。
生きていく中で、次から次へと出てくる問題や悩み事。
少しでも状況を良くするために、「これから何ができるだろうか」?
なるべくなら、そちらのほうに集中したい。
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【これもまた過ぎ去る】 2011年1月24日(月)
朝、妻と息子が玄関先に出てきて、仕事に向かう私に笑顔で手を振る。
どこでも毎日のようにくり返される、ありふれた日常のひとこまだろう。
だが一度家庭を失った私には、一瞬一瞬を目に焼きつけておきたい、大切な光景だ。
幼い息子が少しずつ成長するように、すべては常に変化している。
私たち家族に流れている平凡な時間も、やがてはうつろい、失われる。
いつかずっと先になって、「もう一度あの頃に戻りたい」と、痛切に思う日がくるだろう。
“This too shall pass.”
(これもまた過ぎ去る)
この言葉は、悩みや苦しみだけでなく、喜びや幸せにも当てはまる。
だからこそ、その時その場面を、じっくりと味わいたい。
家族で分かち合う気持ちを、しみじみと感じていたい。
今こうやって、家族を思いながら文章が書けること。
子どもと風呂に入れること、家族で夕食をとって、みんなで一緒に寝られること。
たくさんの幸せに囲まれていることに気づき、いつも感謝していたい。
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【長生きしたい】 2011年1月20日(金)
映画「ラスト・ソング」で、ガンで余命間もない父親が、幼い息子に語りかける。
“Every time a light shines through any window, that's me.”
(窓から差し込む光は、どの窓でもパパの魂だ)
ちょっと気が早いが、私も同じ言葉を息子に伝えたい。
存在しなかった子どもが今ここにいるのなら、親が先にこの世を去るのは自然なことだ。
残された家族の心の中に、死者の「存在」の場を定めておくのは、課題のひとつだと考える。
映画のストーリーではあるが、彼はもう息子の成長を見ることはできない。
病気こそ発覚していないが、孫ほど年の離れた息子を持つ私も、似たようなものだろう。
無理を重ねた、ストレスまみれの人生前半を思うと、早死にしても不思議ではないし。
ああ、長生きしたいな〜。
100歳まで生きたい…。
2度目の家族を持って、初めてそんなことを考えるようになった。
いつどこでどんなふうに死ぬかは、天が決めること。
それまでは節制して、与えられた体と心を鍛え、いたわりながら過ごしたい。
私の立場は、大多数の46歳のそれとは違うのだから。
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【ありがとう東国原知事】 2011年1月20日(木)
本日をもって、我らが宮崎県知事、東国原英夫さんが退任される。
この4年間、本当にお疲れさまでした。
いかん、知事退任でウルウルするなんて初めてだ。
マイナーな宮崎を、あっという間に有名にしてくれた。
全国ネットのテレビで何度も放映され、有名人たちが続々と宮崎を訪れた。
それまで考えられなかった奇跡のような出来事が、次々現実となった。
前知事までに起きたさまざまな事件で、評判が地に落ちていた宮崎県。
就任直後の鳥インフルエンザ、そしてあの口蹄疫被害をも乗り越えた。
投票用紙に「そのまんま東」と書いた、あの日が懐かしい。
人生の「どん底」に落ち、猛勉強をして、社会人として2度目の大学へ。
奥さんの理解が得られず離婚、40代で表舞台へと返り咲いた東国原さん。
彼は、私のヒーローだった。
サウナで何度か会って話したり、マラソン大会で並んで走ったこともあった。
先日は県庁の庭園で向こうから声をかけられ、家族と一緒に記念撮影。
とても気さくで、親しみのある知事だった。
本当に楽しい、エキサイティングな4年間だった。
東国原知事の任期中、私は再婚をして、息子が誕生した。
私にとってこの4年間は、生涯忘れることのない、感謝の日々だ。
人生後半からでも、本気でやれば熱く生きられる。
身をもって教えてくれた東国原英夫さんを、私はこれからもずっと応援する。
「ありがとうございました!」
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【健康法あれこれ】 2011年1月19日(水)
水をたくさん飲め/飲むな、体を温めろ/冷やせ、肉は食べるな/食べろ。
運動は健康にいい/活性酸素が出るから悪い。
メタボは病気を引き起こす/ちょい太のほうが長生き。
「どっちやねん!」
そう言いたくなるほど、矛盾した健康法が巷にあふれている。
どの主張も医師や専門家のものなので、素人は混乱するばかりだ。
無農薬野菜や玄米食にこだわる人が、気にしすぎてストレスをため、病気になった笑えない例もある。
ひとくちに健康といっても、体だけでなく心や環境条件も含まれるから、けっこう複雑だ。
ダイエットしたりベジタリアンになって、やせこけて肌がガサガサになっては、それこそ本末転倒。
思考錯誤したあげくの、ひとつの結論。
「自分の体と心に聞きながら、その時どきの縁やタイミングで、バランスよく楽しむべし」
季節にも春・夏・秋・冬があって、感情だって喜・怒・哀・楽いろいろあるんだから。
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【雑音を入れない】 2011年1月18日(火)
極真空手の元世界チャンピオンが、フリーとなって単身アメリカに渡り、ゼロから自流の道場をスタート。
数年ぶりに帰国した彼は、40代後半とは思えない肉体をつくり上げ、雑誌のインタビューに答えた。
「あちらでは雑音が入らないので、空手の修行に集中できるんです」
空手家にとっての「雑音」とは、顔面パンチや寝技に対応していないなど、総合格闘技ブームの素人のコメント。
最近は情報の洪水に巻き込まれ、どんな生き方がベストなのか迷っているうちに、人生が終わってしまいそうだ。
昔は選択肢が少なかったから、そういう意味での焦りはなくて、けっこう幸せだったかもしれない。
こんな時代には、「自分が本当は何がしたいのか」、しっかり考えておく必要があ…。
いや、あまり考えないほうが幸せかな(笑)。
少なくとも私は、ネットサーフィンや情報コレクションに貴重な命(=時間)を捧げたくない。
冒頭の空手家は、流行りの総合格闘技には対応できないのかもしれない。
でも彼は「空手家」であって、総合格闘家ではないのだから、余計なお世話だ。
それよりも、迷いを捨てたそのスッキリとした表情を、私はうらやましく感じた。
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【タフな男であるために】 2011年1月17日(月)
週末の夜、実家で父の話を聞いた。
今年で76歳になる父は、母の虚弱体質を受け継いだ私と違って、異常にタフな男だ。
定年後の仕事は85歳まで続ける予定で、地域の役員やボランティアも複数に渡り、忘年会は毎年十数回。
自宅の庭仕事や犬の散歩も欠かさず、さらに雨でも風でも毎晩5kmのウォーキング。
その秘訣はウォーキングに加えて、毎日手早く昼食をとったあとの、車の中での30分の昼寝だった。
運動や休息は健康のためというより、独自のライフスタイルを保つため、必要にかられてやっているそうだ。
「ある程度は人の目を気にせずマイペースでやらないと、能率が落ちるからしょうがない」
しょうがないんだ(笑)。
自分のリズムを、貫く。
周りに気をつかうタイプの私には、かなりインパクトのある話だった。
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【本末転倒のワナ】 2011年1月14日(金)
夫婦でよく話すのが、「本末転倒はやめようね」。
たとえば、家族のために一生懸命働くうちに、家族と過ごす時間がなくなる。
生活を豊かに楽しもうと、貯金のために節約を徹底して、粗食ばかりで旅行にも行かない。
子どものためと思って、しつけや稽古ごとを強要して、逆にストレスを与えてしまう。
目的のための「手段」が、いつの間にか「目的」に変わる。
気がつくと、本来の目的を見失ってカラ回り。
新年の誓いを立てたばかりに、、達成できずにストレスをためる。
健康のためジムに入会したために、通わねという強迫観念にかられる。
本末転倒のワナは、日常生活の中にたくさんあるので、意識的・継続的な注意が必要だ。
このホームページに時間をかけすぎるのも本末転倒なので、このあたりで終わることにする。
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【アンチ更年期障害】 2011年1月13日(木)
人生後半の哲学として、よく聞くキーワードがある。
「手放す・許す・感謝する」「競わない・比べない・争わない」
それはそれで、心の静寂を得るための、すばらしい思想だと思う。
私自身も年齢とともに、自然と肉食系から草食系に、ギラギラから枯れたオジサンに脱皮中。
ガチンコで殴り合うフルコンタクト空手から、円の動きで曲線的に受け流す太極拳に、流派が変わってきた。
生活の中に波風を立てないので、人間関係のトラブルが減って、ストレスも少なくなった。
しかし、このスタイルもまた当然ながら、ある種の「副作用」を生じる。
なんせたいがいのことは、「どうでもいい」状態。
そうなると気力が減退し、好奇心やチャレンジ精神を失い、オスとしての生命力が低下する。
ギャンブルも打たず、恋愛もしないとなると、「感情の老化」は免れない。
男のアンチ更年期障害には、欲望・煩悩・刺激も必要なわけで、人間もなかなか難しいものだ。
要はバランス、ということか。
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【中高年オヤジのホンネ】 2011年1月12日(水)
昨日に続き、もう1つ「迷曲」を紹介する。
「息子よ」(藤岡藤巻さん)
YouTubeのレビューに「あれ、なんで泣いてるんだろ、俺?」とあった。
息子を持つ中年サラリーマンなら、さんざん爆笑したのち、最後は泣ける。
父親というものは、息子に「大きな夢を持て」などと語りがちだ。
お粗末な自分の現実は、棚に上げて。
その意味で、この歌のアドバイスは痛快だ。
私も息子に何か書き残しておきたくて、このホームページを始めた。
でも息子と私では、生まれた時代も出合う人も出来事も違う。
血がつながっているとはいえ、息子はまったく別の人生を歩む、新しい人間だ。
たとえば私が感動した本や映画を紹介しても、本人の現状にはヒットしないだろう。
自立まで責任を持って育てるが、人生の選択については、本人を信頼して任せるつもりでいる。
「ダメな父だったが 最低じゃなかったよな そう言ってくれ息子よ」
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【人生似たり寄ったり】 2011年1月11日(火)
正月早々、いい意味で力の抜ける「迷曲」に出合った。
「過去なんて忘れなよ」(高田純次さん)
どうせ今年も来年も/いいこと悪いこと/あったりなかったり。
それならば何も気にせずに/今日の風に身をまかせ/笑い飛ばせ何もかも。
過去なんて忘れなよ/何かを重ねる年じゃないだろ…。
そんな単純な内容だが、けっこう深いとうなった。
考えてみれば、あなたも私もあの人も、みんな同じような人生を送る。
「生きて、いろいろあって、死んでいく」
この「いろいろあって」も、泣いたり笑ったりドタバタ過ぎて、大ざっぱに見れば似たようなもの。
「それならば…」
ここで人の生き方は、大きく2つに分かれることになる。
その1つを、この歌はおちゃらけながら語りかけてくる。
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【小規模生活者のミッション】 2011年1月10日(月)
若い頃は、自分の人生のミッション(使命)は何なのか、あれこれ考えたものだ。
「みんなで成功して幸せになって…」みたいな、大げさで抽象的なものだった。
人生後半で新しい家庭を持った今、それはとっても小規模で、きわめて具体的になった。
「心身の健康を保つ」
「安定した生活費を稼ぐ」
これだけ(笑)。
週末からの三連休、私は毎年恒例の風邪が治らなくて、家族と楽しく過ごすことができなかった。
やはり健康第一だと、大反省。
体調が感情に影響し、感情が理性を支えるのだから。
夫として父親として、家族が安心して生活できる収入を得ることは義務であり、喜びでもある。
たかが「これだけ」、されど「これだけ」だ。
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【私流80対20の法則】 2011年1月9日(日)
「80対20」という法則があるそうだ。
たとえばテスト勉強で、最重要ポイント20%を覚えておけば、80%近く得点できるというような。
アリの集団で働いているのは、実際には全体の2割程度で、残り8割はうろちょろするだけ。
しかしその2割を別の場所に移すと、またその中の8割が怠け始めるのだとか。
ホントかね(笑)。
だから20%を大切にしよう…、そんな効率主義からはちょっと離れて、一方のの80%に目をやってみよう。
ちょっと哲学的になるが、そもそも「20%」を発見するには、「80%」の存在が必要になる。
8割のアリが適当にサボるからこそ、2割の働き者が登場できて、全体のバランスがとれるのかもしれない。
テストに合格する20%よりも、80%の周辺知識の中にこそ、学ぶ面白さがあるような気がする。
エキストラさんたちのおかげで、主役の人たちが目立って、いい映画ができるように。
自分のこれまでをふり返っても、80%は失敗や遠回りだったが、決して「無意味」ではなかったと思いたい。
回り道にも、花は咲く。
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【月明かりと半眼】 2011年1月8日(土)
明るい太陽の光を当てると、テレビのデジタル放送のように、細かい部分までクリアに見ることができる。
その分、顔のシワやシミも目立つと思うが(笑)。
人間関係や出来事についても、ハッキリ照らし出しすぎたら、どうしてもアラが目立ってしまう。
それよりも、ぼんやりとした月明りの下で眺めるほうが、争いごとは少なくなりそうだ。
穏やかな仏像のような半眼で、見るとはなしに見守るほうが、お互いにもっと自由でいられるだろう。
「正しいか、正しくないか!」「白か、黒か!」
グレーゾーンは認めない…、そんな二者択一思考は、だんだん窮屈に思えてきた。
中途半端、どっちつかずが、人間らしい。
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【エコ運転生活】 2011年1月7日(金)
30代までは、自分はエネルギーの高い人間だとカン違いして、仕事以外にもいろんな活動に手を出した。
そのせいで、40を過ぎる頃から体にも心にも次々とガタがきた。
妻には新婚早々、えらく面倒をかけてしまった。
考えてみたら私は極端な低血圧で、子どもの頃からしょっちゅう病院に通い、見かけと違ってひ弱だった。
若かった頃も徹夜なんかできなかったし、一日の仕事が終わると、文字通りの「疲労困ぱい」状態。
40代も後半に入って、今乗っている傷だらけの中古車に、妙な親しみを感じる今日この頃(笑)。
ガソリンが残り少ないなら、エコ運転を心がけるしかない。
エネルギーの低いタイプの私もまた、人間としてエコ生活を営まねばならない。
最低でも、家族とにこやかに過ごせる程度には。
無理しない。
無理しすぎると、無理がくる。
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【一時間後の目標】 2011年1月6日(木)
私の人生40数年間のデータによると、「今年の目標」を立てたとしても、達成率は限りなくゼロ(笑)。
「もういいかげん学べよ!」
そう自分にツッコミを入れて、あまり先のことは考えないようになった。
熱しやすく冷めやすい私には、一年間はもちろん、一ヶ月や一週間でも長い感じがする。
せいぜい今日一日か、下手すると「一時間後の目標」くらいが適当かもしれない。
しかも、ハードルはかなり低〜く設定して。
夢や目標から逆算して、今日を決める生き方もある。
私は、「今」「ここ」を充実させることで、何かにつながっていけば幸いだと思っている。
なるように、なりますように。
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【まだ準備期間】 2011年1月5日(水)
昨日まで書類に平成22年と書いていたのに、いきなり23年と言われても、なかなかなじめないものだ。
学校の制服が冬服に変わる時でも、しばらくは「準備期間」がある。
新年にも「準備期間」を設けて、慣れていけばいいのではないだろうか。
このことは一週間の始まりにも、一日の始まりにもいえると思う。
いきなり気持ちを切り替えてスタートすると、息切れしそうになる。
その週には水曜日くらいまでに、その日にはお昼くらいまでに、流れに乗ればいいのではないか。
大晦日までにすべてを終わらせておくのは、もう何年も前にやめた。
うちでは年賀状もこれから、大掃除もこれからだ(笑)。
ゆるやかに、少しずつ。
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【人生を織る】 2011年1月4日(火)
明けましておめでとうございます。
今年も家族そろって、健康に新しい年を迎えられたことに、ただただ感謝です。
息子の名前(一織)のように、人生という織物を一つずつ織っていくような、ていねいな生き方を心がけようと思います。