<2010年02月>

【そろそろ…卒業。】 2010年02月28日

<2008年>

離れて暮らす娘が中学に入学。
グアム島で再婚。
離婚後10年分のストレス+人生最大の大怪我でうつ状態に。

<2009年>

命にかかわる大怪我をした同じ日に、45歳にして待望の息子誕生。

<2010年>

愛する娘、義務教育を終えて卒業。

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明日は卒業式、英語教師・カウンセラーとしてかかわった3年生が巣立って行く。
そして17日には、別れた時に3歳だった娘も中学校を卒業する。
昨日の「落書き」に書いたような流れで、私もそろそろ「人生の義務教育」を卒業する時期かと感じ始めている。

思えばこのホームページは、娘への「遺書」のようなつもりで、父親がどんな人間だったかを見てもらうために書き始めた。
しかし本当は、いずれ去りゆく私などより、娘がどんな日々を送っているかを「見てやらねば」ならなかったのだ。

今までは、できなかった。
これからは、そうしたい。

年齢的にも条件的にも、最悪に近い条件の私と歩む人生を望んだ妻。
私が死ぬ時以外は、泣かせたくない。
最期の瞬間には、「この人を選んでよかった」と思ってもらいたい。

生まれてきた息子と一緒に過ごせる時間は、決して多くは残されていない。
パソコン画面に向き合う時間より、息子と向き合う時間を増やしたい。
可能な限り、家族のために生きていきたい。

今までの私も含めて、多くの人が、人生が有限であることを知らないかのように過ごしている。

少しでも有名になろうとか、お金を稼ごうとか、「他人」からすごいと言われ、うらやましがられる自分になろうと必死になっている。
だがそんなものは、もし実現しても一時的なもの、または小さな世界での出来事に過ぎず、すぐに忘れ去られてしまう。

いちばん大切なことは、いちばん大切なものを、いちばん大切にすること。

今の私にとって、それは間違いなく「ファミリー」である。
心を静めて、温かい気持ちで、家族とともにありたい。
たとえ表舞台から消えても、無名なまま終わっても、自分の内側は幸せに満たされている。

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【less is more】 2010年02月27日

いつも新鮮な視点を提供してくれる、松浦英行さんのメルマガから。

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向上心のある人、進歩しなきゃいけないと思っている人。
彼らは、「もっと上へ」「よりよく」といつも考えている。
いつまで経っても、そう思っているってことは、進歩してないってことじゃない?

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わはは!
なるほど、そうかもね。

今回シーガイア滞在で読む本として選んだ一冊は、信一さんの「スローライフのために「しないこと」 。
その中の一項「引き算が生む質の豊かさ」に、おもしろい区分が書いてあった。

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(1)more is more(より多いは、より多い)

まだまだ信者の多い、「足し算教」。
お金を稼げば稼ぐほど、モノをたくさん持てば持つほど豊かである、という考え方。

(2)less is more(より少ないは、より多い)

辻さんが勧める、「引き算」の生き方。
モノを少なくすることでスペースは大きくなり、メンテナンスにかかるはずだった時間やお金が戻ってくる。

(3)more is less(より多いは、より少ない)

たくさんのモノを持ちたければ、より多くのお金が必要で、そのためにはもっと働かねばならず、さらに忙しくなり、家族と過ごす時間が少なくなる。
新しく買ったモノのせいで家が狭くなり、より大きい家を買うためにローンを組み、皮肉なことに家でくつろぐ時間は少なくなる。

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私は現在、「自ら希望して」妻のお下がりのホンダ車に乗っている。
それまでは中古のメルセデスベンツだったが、ごく普通のサラリーマンにとって、その維持費やストレスは相当なものだった。
まさにmore is lessの忌まわしい過去で、現在のless is moreの心地よさはサイコーである。

だからといって、いいクルマに乗ることを否定するつもりは毛頭ない。
妻は私の年齢や仕事の実績から、もっとランクの高い車に乗ってほしいと言う。
それもまたよしだと思うし、特にこれといったこだわりがないだけだ。

「足るを知る」生き方を邪魔するのは、「他人との比較」ではないだろうか。
究極は「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」なのだから。

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【盲点のリゾート】 2010年02月26日



妻のバースデイ・ウィークということで、地元シーガイアの「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」泊。
24時間子育ての日々、たまにはリフレッシュさせてあげたくて。
自宅からわずか20分のドライブで、オーシャンビューの別世界へ。



子どもが昼寝をしている間、私は山側の窓辺でノンビリ読書。
夕食はもちろん食べ放題、こんな時にはダイエットも解禁しないとね。



夜は温泉「松泉宮」の露天風呂で、松の木の間から見え隠れする月を見上げる。
本当は妻にバンヤンツリー・スパを体験してもらいたかったのだが、「ママ・ボーイ」が母親を離さないので、今回は断念。

久しぶりに「目標」ができた。
宮崎最高のスパ「バンヤンディ」(7時間で6万5,000円)を、いつか息子と一緒に、妻の誕生日にプレゼントしよう。

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【私は柴犬】 2010年02月25日



生徒が描いてくれた、私の似顔絵です。
「似てる〜!」と言っていましたが、どうなんでしょう?
息子が生れてから急激に笑いジワが増えたんですが、かなり遠慮してくれたみたいです(笑)。

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【「目標」】

一度決めた目標は絶対に変えない?

こだわるのもひとつの生き方
目標が変わっていくのも
また自然なこと

画家が油絵に色を加えていくように
彫刻家が彫刻にノミを入れていくように
作家が小説を推敲するように

一度完成したように見えても
さらに精度を高めるように

目標も自分の成長に合わせて
微調整してもかまわない。

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【喫茶店の片隅で(3)】 2010年02月24日

巷には「練習ゼロで完走できる非常識フルマラソン」「デブでも走れる東京マラソン」「1時間走れれば東京マラソンは完走できる」など、安易なフルマラソン入門書が目立つ。
以下は、ロサンゼルス五輪女子マラソン日本代表の増田明美さんの話。

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そういうのを見ると、正直イライラしますね。
フルマラソンの42.195キロは、別名「死にに行く覚悟」。
プロのランナーでも半年前から準備して、40〜50キロをウォーキングすることから始めるのが当たり前です。
練習なしでも完走できるなんて、そんな簡単に考えてもらっちゃ困りますよ。


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同感。
私の専門でいえば、英語の習得がそうだし、今取り組んでいる肉体改造も同じ。
ラクして効果を得ようとする安易な考え方には、いい加減うんざりしている。

次は、武道家にして大学教授の文筆家、内田樹さんの話。

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娘は6歳だったんですけれども、「お父さんとお母さんは残念ながら離婚することになったけれど、どっちと暮らしたい?」と聞いたんですね。
そうしたら「お父さん」と。
ほとんどは母親が親権者になるし、娘との別れを覚悟してい泣いていたので、驚きましたね。
後年、理由を聞いたら、母親と暮らせばきっと僕には会わせてくれないけれど、僕は彼女が望めばいつでも母親に会わせてくれるだろうと思ったそうです。


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経験上、とても読み流せない部分だ。
離婚したとき、もし私が希望通り親権者となり、娘を育てる立場になっていたらどうか?

今でも私は断言できる。
離婚の理由が何であれ、娘はいつでも自由に母親と会わせたと。

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【あなたがいたから僕がいた】 2010年02月23日

今日は、妻の誕生日。
バースデーガールには、今日の家事は一切禁止。
育児はしょうがないけどね。

夜は、彼女お気に入りの「ももや食堂」で出産後初?の豪華ディナー。
人気の店だから、ずっと前に個室を予約しておいた。
赤ん坊がいると、外食ってなかなかできないから。

もちろんいちばん高い、宮崎牛ステーキがメインのフルコース。
やっぱりプロの料理は美味し!

今日は妻にゆっくり食べてほしかったので、いつもはママべったりの息子を、私がずっと抱っこしていた。
まあ大変なこと、疲れること…。
あやしながらシャンパンをガブ飲み、せっかくのステーキも無理やり口の中に突っ込む(笑)。

妻は一日中子どもの世話をして、仕事で疲れて帰った私のために、毎晩おいしい夕ごはんを用意してくれる。
自分は片手で赤ん坊を抱え、たまにはおっぱいをあげながら、もう一方の手で食べるような状態。
普通なら、まだ独身で遊びまわっている年かもしれないのにね。

母親にいっぱい愛されて、子どもも元気に育ってる。
いつも感謝してますm(__)m

バースデーウィークということで、週末は海辺のシェラトンホテルで過ごす。
長距離の旅行はまだ難しいから、たまには地元のリゾートを満喫しよう。
息子がもうちょっと大きくなったら、絶対グアム&ハワイに行くぞ〜!

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【喫茶店の片隅で(2)】 2010年02月22日

映画は、なくていいもの。
それを作っているのだから、一生懸命やらなければ誰も見てくれないだろ。

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香川照之さんが俳優として本気になったという、ある映画監督の言葉。

考えてみれば、今私がやっている仕事も書いている文章も、究極の場面では「なくてもいいもの」だろう。
極端な話、メシ食って寝る以外は、すべて「無駄ごと」なのかもしれない。
だからこそ、心をこめてやってみるのも一興かな、と思ったりもする。

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“他”でもよかった相手を通過しないと“ほなならぬ人”がわからないのも酷な話でね。
広い砂漠の一粒一粒でしかない我々は、その中から自分にピタッとはまるもう一粒を探しているようなものですから。


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「ほかならぬ人」で直木賞を受賞した、白石一文さんの言葉。
一昨年、絶不調の頃に「不自由な心」を読んで以来、すっかり気に入っている作家だ。
パニック障害を経験したそうだが、現実的なストーリーの中に「見えないもの」の不思議さを入れるあたりはさすが。

恋愛や結婚でろくでもない人と出会って、ひどい目にあったりする。
「他でもよかった相手」との、できれば消し去りたい過去である。
しかしそれは、「ほかならぬ人」と出会うための「道しるべ」だったのかもしれない。

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【味のガンジスカレー&スパゲティ】 2010年02月21日



子どもの頃から大好きな「味のガンジス」で、ガンジスカレーとイタリアンスパゲティを食す
南宮崎駅近くの宮交シティ2階に、ずいぶん昔からある店。

私は、「赤いスパゲティ」(断じてパスタではない)が大好き。
一昔前っぽい「ドライブイン」(古〜!)や喫茶店くらいしか、もうそんなのはやってないけど。
ポイントは、めんを「炒める」ことですな。

しかもここのスパゲティ、てっぺんに生たまごが乗っている。
それをくずして真ん中の鉄板で炒めて、最後にめんにからまったものを食べるのが、また楽しみで
写真の前にコーフンして、すでに沈めちゃったけど(笑)。

「味のガンジス」に来ると、いつもカレーにするかスパゲティにするか悩む。
一方を食べるともう一方が恋しくなるし、両方頼むと食べ過ぎになるのだ。

今日は朝からいいこと続きでゴキゲンだったので、両親と妹にオゴって、スパゲティをメインに据え、カレーは妹と半分こ。
これにて一件落着!

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【人生の特別な一瞬】 2010年02月20日

「あの時がそうだったのだと、ずっとあとから鮮やかに思い出される、ごくありふれた、なにげない一瞬」

同タイトルの本を書店で見かけて、ちょっと印象に残っていた。
今日味わったのがその「一瞬」だったのかなと、今一人で思い出しているところである。

仕事が終わったあと、妻の実家がある都城市に、妻と息子を連れて行った。
妻がある店に入っている間、私はまだ赤ん坊の息子を抱いて、近くを散歩したのだった。

妻が通った幼稚園、小学校の近所に、古くて小さな木造の家があった。
低いブロック塀の前には、これも小さな畑があるだけ。
私も都城で幼少期を過ごしたからか、不思議なほど懐かしさがこみ上げる風景だった。

初春のやわらかな陽射しが、暖かく息子と私を包んでいた。
赤ん坊の甘いミルクのような香りをかぎ、細くて柔らかい髪の毛に何度もほおずりした。
これ以上ないほどゆっくり、私たち二人は歩いた。

その瞬間、私は今までに経験したことのない種類の「幸福」を感じたような気がした。
この「人生の特別な一瞬」を、いつか死ぬ直前に思い出すような予感がしたのだ。

今度、あのごく平凡な、しかし私にとっては特別な場所の写真を撮りに行こうと思っている。

夜は久しぶりに温泉につかって、旅の疲れを癒す。
露天風呂から空を見上げると、木々の枝の間から下弦の月が美しかった。
湯面を這ってくる湯気と風が、疲れた顔に当たって心地よかった。

これもまた、あとで思えば、「人生の特別な一瞬」になるのかもしれない。

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【喫茶店の片隅で(1)】 2010年02月19日

「文武両道」読者ならご存知、私の別名「モーニング親父。」。
休日の朝は、まず間違いなく喫茶店にいる。

そこでイッキに週刊誌類を読むのだが、たまにいい言葉に出合うと思わずメモったりして、なかなかゆっくりできない(笑)。
今日拾った名言を、今日からいくつか紹介する。

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人には将来の幸せのためにいま頑張る人と、目の前の幸せをいま追及する人の2つのタイプがある。
さてどちらが幸せか。
答はどちらか一方ではなく、うまく両者をミックスすることだ、と書かれている。
誰もが将来のために努力するものです。
でも、目標を達成すれば幸せになれるのかといえば、実はそうではない。
目標に向かって奮闘している、その過程が実は幸せだったりするわけですね。


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ハーバード大学教のタル・ベン・シャハー教授の本、「HAPPIER」について。
マイクロソフト社長、樋口泰行さんのインタビューより。
こういう人は自己啓発書やビジネス書を読んでいることを明かさず、小難しい本の書評を語るものなので、ちょっと目に止まった。

受験勉強に象徴されるように、将来の快楽のために現在を我慢するケース。
刹那主義と言われるように、今が楽しければいいというケース。
何でもそうだが、極端な二者択一は必要なく、要はバランスということだろう。

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【息子を描く】 2010年02月18日



一昨日は、浅草で子どものミニ名札を作ってもらって、思わずウルウル。
昨日は、東京ディズニーランドで赤ちゃんグッズの店に入って、ついウルウル。



そして今日は、国立新美術館のルノワール展で「クロード・ルノワール」という絵を見て、またまたウルウル。
クロードは、ルノワールが60歳の頃に42歳の妻との間に生まれた息子。

年をとって生まれた赤ん坊をじっと見つめながら、作品として描いていく父親の気持ちが直に伝わってきた。
最後の息子クロードは、ルノワールが78歳でこの世を去るまで、数多くのインスピレーションを父親に与えたという。

宮崎の我が家に帰ってきた。
やっぱり、自分の家がいちばん落ち着く。
「じゃあ旅行なんか行くなよ」というツッコミもありだが、むしろそう実感するために、旅はあるのかもしれない。

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【あえてディズニーランドあら探し】 2010年02月17日

不況知らずの東京ディズニーランド(以下TDL)。
「大切なことはみんなTDLで学んだ」みたいな本や、さまざまな美談もインターネットで紹介され、巨大ブランドに対する批判は聞いたことがない。
唯一バスガイドさんが、「夢の国とか言うけれど、実際に働いた人から聞いたら、舞台裏ではイロイロあるみたいですよ〜」って言ってたくらいか。

私は、私の感じたままに書こう。
(少なくとも今日の)東京ディズニーランドは、100点満点のせいぜい50点。
奇をてらって30点と言ってもいいが、そんなつまらない手法でエラそうにしたくないから50点。

まず、入場ゲート前での荷物検査、あれは何?
全員バッグを開かれて中を調べられるのに、一言の説明もない。
仮に禁止されている食べ物が入っていないかの確認としても、TDLが性悪説で始まる事実にはガッカリ。

次に、たった3分程度の乗り物に乗るために、150分以上も並んで待つというのはどう考えても異常だし、家族連れには過酷でしょう。
せっかく遠方から子どもを連れてきても、一日中いてもせいぜい3つくらいしか乗れないのでは?
子どもが「あれに乗りたい」と切実に願っても、その「夢」は叶わないのだ。

改善策として「ファーストパス」という制度があり、1つだけなら乗り物の予約はできる。
ところが朝一番で駆けつけたにもかかわらず、「夜の8時40分に来れば、優先的にご案内します」。
って、おい!

ランチにカレーを注文したら、あまりのマズさにイスから転げ落ちそうになった。
「夢の国だから弁当持込み禁止」は、まあいい。
でもそう主張しながら、園内でさらにお金を使うしかない食事が「悪夢の国」じゃいかんだろ?

TDLのバイト料はとても少ないそうだが、それでも開園当時のスタッフはキビキビと仕事をしていた。
しかしズバリ指摘すると、最近は慣れというか、スイッチが入ってない人が増えてないか?
偏見かもしれないが、もともと接客になど興味のないTDLオタクが増えて、サービスの質が低下したようにも見える。

たまたま目にしただけかもしれないが、落ちているゴミに誰も気づかず放置(以前なら超スピードで消えた)。
客がカメラのシャッターを頼んでも、ブゼンとした表情で受け取る女性スタッフ。
カフェでまだ食べているテーブルの下まで掃く男性スタッフは、自分の作業のことしか見えておらず、客の不愉快な表情に気づきもしない。

それでも、ピーターパンから話しかけられて嬉しそうな車いすの女の子や、仲むつまじく夜のパレードを見つめる老夫婦を見ると、TDLに「ありがとう」を言いたくなる。
現時点でクレームがきても膨大なおつりがくる「絶対的強者の立場」だけに、細やかな配慮を忘れてほしくない。

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【独善的アルバム(3)】

修学旅行3日目(東京ディズニーランド)。



ずっと以前「億ション」と言われたマンション郡。
今年から一軒家に移り住んで気持ちが安定し、今になってわかるマンション恐怖症に陥っているので、ゾッとする。
「屋上にはヘリポートがある」という理由を聞いたら、災害時に住民を避難させるためだとか(^^;



宮崎では絶対にあり得ない、渋滞する「高速道路」(笑)。
ビルの谷間をぬうように走っている。
肥大化する一方の都会の危うさを感じる。



こういうのを見ると、環境保護のエライ先生が、都会から宮崎に講演に来るのが矛盾だとわかる(笑)。
必要あってのもの?なんだろうが、スモッグとヘドロを垂れ流しのイメージ。
「緑も大切」と人工的に植えられているが、緑のほうも迷惑な話だ。

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【私的バスガイド論】 2010年02月16日

修学旅行中、4人の観光バスのガイドさんを見ていて、あれこれ考えたこと。
タイプはそれぞれだが、なかなか空気が読める人って少ないんだな〜。
生徒も我々教師をそんな目で見ていると思うと、冷や汗が出る思いだ。

ビートたけしさんのテレビ番組で、「こんな○○はいやだ」というコーナーがある。
「旅行記は批判的に書く」と断っているので、あくまでも一般論として「こんなバスガイドさんは困る」みたいなスタイルで書いてみる。

ちなみに生徒たちは、バスガイドさんに東国原知事のキーホルダーをお土産にあげていた。
これには私も感心したが、それなのに…。

(1)相手に関心を持たない

暗記したマニュアルを一方的に話すばかりで、コミュニケーションが成り立たない。
ちょっとインターネットで調べれば、話題の宮崎から来たことや、生徒たちの全国での活躍もすぐわかるのに。
相手に具体的な関心を示さないから、そりゃあ相手も乗ってこない。

日々さばいていく「その他大勢」の気持ちが、目を合わせず空気に向かって話す態度に表れる。
こちらもいつの間にか、テープレコーダーを聞かされているような状態になる。
そして、私語が始まる(それを注意する教師の空しさ…)。

(2)走行中ずっと話し続ける

生徒は、せっかくの旅行だから雑談もしたいし、ゆっくり過ごしたいのだ。
沈黙は間が持たないと思い込んでいるのか、目に入る景色や建物について延々と語り続ける。
そんなものは見ればわかるし、要所要所で説明があれば、あとは放っておいてくれたほうが気が楽だ。

何事もそうだが、車のハンドルの「あそび」のような部分が必要である。
あれもこれも詰め込むより、ポイントを絞ったほうがずっと伝わりやすい。
私も授業や講演で経験するが、内容が物足りなくて申し訳ない気持ちになる時のほうが、不思議と評価が高くなるものだ。

(3)他のガイドとの連携がない

今回は横浜のホテルを起点に、何度か東京を観光するスタイルだった。
ということは毎日同じ高速を通るわけで、途中に見える観光スポットも同じ。
その配慮がないと、毎日違うガイドさんから、同じ話をくり返し聞かされることになる。

「レインボーブリッジ」「ランドマークビル」「お台場フジテレビ」という言葉は、聞かされて過ぎてウンザリ。
東京のシンボル鳥が「ゆりかもめ」で音が「パンダの鳴き声」、新しい東京タワー(スカイツリータワー)の高さが「武蔵(むさし)で634メートル」という話も、申し訳ないが聞き飽きた。

(4)ジョークが寒い

明らかに、生徒と笑いのポイントがずれている。
もちろん私自身もずれているので、滅多に危険なオヤジギャクは飛ばさない。
具体的には書かないが、生徒が凍りついているのにもかかわらず、自分で笑っている。

こういう人って、実は根はいい人が多い。
ただ、浮いてしまって引かれがちなだけ。
それだけに、見ていて辛くなるのだ。

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【独善的アルバム(2)】

修学旅行2日目(浅草〜お台場〜横浜中華街)



江戸東京博物館で、息子の名前シールを作成。
久しぶりにこんなことができるようになったんだなと、ひそかにウルウル。
上には「笑角福来」、真ん中には「身体健全」の文字。



浅草寺のおみくじって、たしか「凶」が多いことで有名。
「大吉が出ても油断し高慢になれば凶に、凶が出ても恐れず辛抱と誠実で凶に転じる」、そんな趣旨だったように思う。
たくさん結ばれた写真には、「凶のみ結び、他は持ち帰るように」とある。

 

職人さんに、手書きの名札を作ってもらった。
息子の名前と、彼の姉である娘の名前と…。
いい思い出になった。



お台場で見かけた、宮崎名物を模倣した肉巻きおにぎり屋。
1個500円って宮崎の2倍近いし、「バカ売れで笑いが止まらない」そうだけど…。
これが宮崎とは思ってほしくないな。

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【国の母】 2010年02月15日

あるオリンピック選手の服装や態度が悪いということで、バッシングされているようだ。

国民の血税で参加させてもらった立場で、大学生にもなって制服を着崩したり子どもっぽい受け答えをした選手の未熟さは、まあおいといて。
だってこの子を正論で責めるのは、今なら誰でもできることでしょう。
ここぞとばかりに「とんでもないヤツだ」みたいなこと、自分の若い頃をふり返ったら、少なくとも私には恥ずかしくて言えない。

だからといって、「これくらい多めに見ろ」みたいな安全権からの暴言で目立とうとするほど、非常識でもない。
「誰か注意してくれていたら・・・」
ここまで議論をすり替えられると、もう書く気も失せる。

いちばん恥ずかしかったのは、彼が通う大学関係者のコメントだ。

「本当はやさしい子、わかってあげてほしい」

もしこれがマスコミによって操作された記事でなければ、事態の本質をまったく理解していない発言である。
誰一人、「この選手にはやさしさが足りない」などとは言っていないのだから。

日本人の悪いクセは、自分の意見や行動が批判されると、あたかも人間性を否定されたと勘違いしやすいことだ。
問題とされたのは「意見」や「行動」そのものであり、人格を否定したわけではない。

会議では発言しなかったのに、会議が終わると「あれはおかしいよ」などとコソコソ話すのも、同パターンの別バージョン。
反対意見を述べることが、相手を侮辱することにつながると思っているのだ。
ベテランでもこんなミスをやらかすのは、どこの組織でも似たようなものだろう。

家庭や学校における教育についても、このことは常に心しておかねばならない。
叱るのはその子の「行為」であり、決して人間性ではないことを伝える必要がある。
間違っても、「またおまえか」「だからおまえはダメなんだ」などと言うべきではない。

いずれにしても、この選手は技術は世界レベルでも、メダルは難しいだろう。
自分がやらかしたことの責任は、いずれ何らかの形で自分が負うことになるだけだ。
しかしだからこそ逆に、人は正しくないことをする権利が与えられているともいえる。

ゴタゴタがあったから、プレッシャーでかたくなるなどという単純な話ではない。
理由の1つは、最近脳科学などで話題になっている「ミラーニューロン」だ。

古くは阪神タイガースが奇跡の優勝を遂げたように、最近ではイチロー選手がスーパープレイを見せてくれるように、人は大多数の期待を鏡に映すように動いてしまうという。
たぶんこの選手に対しては、残念ながら多くの国民が無意識に失敗を望むだろうから、たぶんその通りになるだろう。

もう1つは、本人自らが「オリンピックは自分にとって大きな意味はない」と発言していると聞いたからだ。
仮にそれが強がりだとしても、一度発した言葉は無意識に入ってしまうから、今度は自分の「期待」通りの結果を甘んじて受け入れることになる。

ついでに書いておけば、「そんな小さなことで目くじら立てなくても…」という、一見ものわかりのいい大人の意見も批判しておきたい。
無意識のレベルでは、間違いは間違いであり、大きいも小さいもない。
学校の教員が生徒の喫煙にうるさいのは、「タバコくらい、いいだろう」という甘さが、いずれ「覚醒剤くらい、いいだろう」につながっていくことを知っているからなのだ。

あるブログで、校則反対の親たちが盛り上がっていた。
その中に「教師にわからないようにやれ、これが私の信念です」という書込みがあって仰天した。

その時は、お友だちみたいな親だと子どもに歓迎されるかもしれない。
しかし、それがいつか「親にわからないようにやれ、これが私の信念です」と、自分が裏切られることに気づいていないのだ。

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【独善的アルバム(1)】

修学旅行初日(鎌倉〜横浜)。
最初に宣言しておくと、今日からの手記は写真も含めてクリティカル(批判的)な視点で書きたい。
「楽しかったデ〜ス♪」みたいなブログは、書いてても読んでも面白くないから。



ドトールの自動販売機で飲んでみたが、インスタントコーヒーレベルでガッカリ。
まあ100円だしね。



川端康成も通ったという、鎌倉駅近くの「イワタコーヒー店」。
人が多いだけで、特にこれといった特長なし。
名物の厚さ2センチのホットケーキは50分待ちで、パス。



宿泊した部屋。
けっこういいホテルでも、不景気のせいか修学旅行生を受け入れ始めているようだ。



長谷寺で買ってきたロウソク。
暗闇の中の小さな火に、心が癒された。

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【旅?に出ます】 2010年02月14日

明け方目が覚めて、トイレに行った。
で、ベッドに戻って滑りこんだら、温かいんだこれが(涙)。
息子を真ん中に、夢だった家族で「川の字」になって寝てるから。

昔は冷たいベッドの中で、温まるまで独りで丸まってた。
眠っている妻と息子の寝顔に、「ありがとう」とつぶやいた夜明け前でした。



さてさて、明日早朝から修学旅行の引率というわけで、横浜〜鎌倉〜東京ディズニーランドに行ってきます。
団体旅行ですが、気分は勝手に一人旅(笑)。

ホテルの部屋では、秘密兵器「ポメラ(Pocket Memo Writer)」でひそかな執筆活動に専念します。
屋外では…以前紹介したアウトドア仕様メモ帳「ロディア」に、世界一の書き味を誇るボールペン「ジェットストリーム(青/1.0mm)」で、浮かんできたアイディアをメモしまくります。

では、行ってきま〜す!(^_^)/

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【自分の燃やし方(2)】

仕事や勉強に限らず、「やる気」というものについて、長い間誤解していたように思う。

誤解その1:
「やる気とは、テンションの高いものである」

誤解その2:
「やる気とは、それがホンモノならずっと続く」

そこで、今回は「自分の燃やし方」というテーマで、今一度「やる気」について整理しておきたい。

一般的に言う「やる気」は、大きく2つに分けられる。
「テンション」と「モチベーション」である。

1.「テンション」

いわゆる「気合だー!」みたいなヤツ(笑)。
アメリカ人がよくやる“Yes, I can!”など。

「ツイてる!」「ありがとう!」「感謝します!」などと不自然に連呼するのも、この部類に属するだろう。
自己啓発セミナーなどで「いついつまでに何々を達成します!」と宣言するのも含む。

高テンション系の特長は、「一時的には燃える」ことである。
通訳すれば、「燃えるけど一時的」。
そして短期的で疲れやすく、「リバウンド」しやすいこと。

2.「モチベーション」

一方、こちらは「長期的」で「ゆるやか」「おだやか」なやる気。
モチベーション(motivation)とは、「動機づけ」のこと。

モチベーションは、さらに2つのカテゴリーに分けられる。
「外発的モチベーション」と「内発的モチベーション」である。

(1)「外発的モチベーション」

いわゆる「ごほうび」。
たとえば、「(思い込みにすぎないが)英語をマスターすれば出世できる、給料が上がる、休みが取れる」という発想。

よく「自分にごほうびを」と言われるが、私には賛成できない部分がある。
「ごほうびがなかったら、やる気が起きない程度のことなのか?」ということがひとつ。
あと、「何もなくても、いつでも自分にごほうびをあげるくらい、自分を大切にしてみては?」。

このことからわかるように、「外発的モチベーション」は、不景気時にはやる気を起こすことが難しい。
「カネ・ヒマ・ポスト」が得られないのなら、やってもムダだということになる。

(2)「内発的モチベーション」

これが現段階における、いちばん大切な自己動機づけといえる。

「なぜ、何のためにそれがしたいのか?」

「どんな人生を歩みたいのか、そのためにはどれを選択するか?」

一時的な盛り上がりではなく、外から与えられるメリットでもなく、自分の内側からわき上がってくるものだ。
これは自分の人生の意味づけにもつながる深い質問だから、慌ただしい毎日に振り回されてばかりいないで、一度腰をすえてじっくり考えてみよう。

「好きなことを仕事にしましょう」「ワクワクするかを基準に選びましょう」なんていう単純な話では、もちろんない。
大人の現実生活はそんな単純なものではないし、そんな甘言に乗ってろくに準備もしないまま脱サラして、生活が破綻した例はいくらでもある。

内発的モチベーションもなく、言われるがままに作業や労働をしていると、本当に行きたい所とは全然違う場所に着いてしまう。
仕事や勉強に限らず、成功オタクさんたちが次々とセミナーや商材に家族のお金を浪費するのも、同じ構図である。

やれプラス思考しましょう、やれ紙に目標を書きましょう、やれ(以後“やれ”は省略)いい言葉を唱えましょう、イメージしましょう、掃除をしましょう、トイレのフタを閉めましょう、強く願いましょう、いや手放しましょう、感謝しましょう、ヒーリングがどうした、スピリチュアルがこうした、今度はハワイからきたポノポノなんとか…etc.

どれも奇跡が起きる秘法なのかもしれないけど、成功とか幸せという架空の頂上に向かう地図をあれもこれも手に入れて、結局道に迷ってるじゃないか。
自分だけの地図を作ろうともせず、わざわざお金を払って他人から与えられた地図から逃れられない。
それに気づかず、「どうして自分はうまくいかないんだろう?」と不思議に思っている。

ちょっと長くなったので、
誤解その2:「やる気とは、それがホンモノならずっと続く」
については、また次回。

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【自分の燃やし方(1)】

他愛ない言葉の遊びだが、仕事について次のような話がある。

「“仕事”とは、“志事”である」

ただ単に「仕える事」ではなく、「夢や志を形にする事」というわけだ。

「働くとは、はた(周り)を楽にすることである」

語源としてはマユツバもののダジャレだが、どうやらこれは、あの二宮金次郎さんの言葉らしい。

「ライスワークから、ライフワークへ」

「ライスワーク」とは、メシを食うための“労働”。
「ライトワーク」とは、あまり意味のない“雑用”。
「ライクワーク」とは、自分が好きでやる“仕事”。
「ライフワーク」こそ、一生かけて続ける“使命”。

「給料がなくても、それはやりたい仕事ですか?」

この質問はちょっと厳しすぎるので、アレンジすると、
「もし給料をもらう必要がないほどお金持ちになっても、それはやりたい仕事ですか?」

「“天職(calling)”とは呼ばれるものであり、“転職”して見つけるものではない」

好きな仕事を探すのではなく、今の仕事を好きになれ、みたいな。
好き嫌いを言わず、目の前の仕事を精一杯やっていれば、「呼ばれていく」んだとか。

+++++

さて私の実体験&実感だが、どれもなるほどと思わせてはくれるが、必ずしもそうじゃないような…。
私の場合、おかげさまで45歳を過ぎてようやく「志事」で「はたを楽に」して、「もし給料が必要なくても」やりたい「天職」と言えるようになった。

それまでは、正直に告白すると、「もうこんな仕事やってられん!」と思ったこと20〜30回。
ギリギリで提出こそしなかったが、実際に辞表を書いたこと1回。
独立起業したくてフラフラしていた時期、10年間。

さっき「おかげさまで」と書いたのは、直接的には現在の妻のことである。
クサッていた私に「産業カウンセラー講座」の受講を勧め、この私の書いた文章にC評価などつけた女性講師にキレた私をいさめて合格まで引っ張り、上司に職場のカウンセラーになりたいと直訴させて実現させたのは、すべて彼女のしわざだ(笑)。

だから、上に書いた「自己啓発的屁理屈」を疑問視する気持ちも少しだけある。
人生における問題には、プラス思考レベルの自助努力ではどうしようもないことが多いのも、また現実だから。
妙なアファメーションなど唱えているヒマがあったら、自分の環境を変えるために動けよ、ということだ。

つづく

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【最近の素朴な疑問】 2010年02月13日

<その1>

学校教育批判で著名な宗教家、ひろさちや氏のインタビュー記事を読んでいて、目に止まった発言。

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学校教育の本質は、洋の東西を問わず、国のために命を投げ出す人間、人を殺す人間を作ることにあるわけです。
言いかえれば、暴力団の養成のようなものです。

私は、教育の本質は学校にはないと思っています。
私は、できるだけ学校教育を少なくしようという配慮を持たなければならないと考えています。

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教育の現場で直接生徒たちと向き合い、日々奮闘している立場からすると、なんとも新鮮でユニークな発想である。
でも、この方は一体どこで誰に読み書きを教わり、本を出版して生活ができるようになったんだろう…?

<その2>

エコ、つまりエコロジー(ecology=生態学)の講演ダイジェストを地元新聞で読みながら、ふと疑問に思ったこと。
たしか、高木善之さんという人だった。

手元に記事がないので正確ではないが、要するに現代人のライフスタイルは、地球環境を破壊しているという手厳しい警告だった。
たしかに正論で、気をつけなければいけないなあと反省させられる。

でも、この方は一体どうやって県外から宮崎に来られたのだろう?
あれだけ声高々に現代社会を批判しながら、そのエコと相容れないはずの飛行機や車など使うはずはないし…?

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【「より良い」人生から「より好みしない」人生へ】 2010年02月12日



2月3日の節分に家族で初の豆まきをしたこと、まだ書いてなかったな。
息子はまだ赤ん坊で何もわからないだろうけど、何かのCMにあったコピーを、人生後半で与えられた幸せな家族で実践していきたい。

「モノより、思い出」

さて、また恒例の屁理屈(笑)。
以前にも詳しく書いたと思うけど、「鬼は外、福は内」に見る、人生の達人度について。

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<レベル1>

「鬼」と「福」を「良い・悪い」で分けて、鬼は来るな、福は歓迎と好き嫌いで判断する段階。

<レベル2>

「鬼」に見えても、見方を変えれば「福」になるじゃないかという、いわゆるプラス発想する段階。

<レベル3>

なぜそれが「鬼」だ「福」だと言い切れるのか、それは本当なのか?と一度立ち止まって考えてみる段階。

<レベル4>

「鬼」だろうが「福」だろうが、それは何か自分にとって意味があってやってくるのだろうと、「大いなる意志」を信頼する段階。

<レベル5>

「鬼」か「福」か知らないが、せっかくやってきたのだから、どうせなら「福」と考えたほうが楽しいじゃないか、という段階。

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自己診断で、自分はレベル4くらいまできたんじゃないかなあ、と漠然と思っていた。
ところが実際は、昨日のように近所のおばちゃんごときにイライラさせられる始末(笑)。
まだまだ修行が足りんわい。

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【ムカつくときに限って】 2010年02月11日

久しぶりに一人きりでノ〜ンビリ過ごす休日。
珈琲をいれてDVDや本を楽しんでいたところ、近所のおばちゃんがゴミ出しのことで苦情を言いにきた。
分別が悪くて放置してあるのは、引っ越してきたばかりのお宅のゴミだろうと。

まったくの言いがかりだったので否定したが、おばちゃんは内心疑っている様子がありあり。
それどころかすでに近所に言って回って、うちに違いないということになっているらしい。

私もそう器の大きい人間じゃないから、せっかくの休みを不愉快な気分で過ごすハメになった。
気にするまいと思っても、引っ越し早々濡れ衣を着せられた怒りがこみ上げてくる。

どうやって身の潔白を証明しようか?
本を読んでいても字面を追うだけで、頭の中はつい今後の対策を考えてしまう。

こういうときにかぎって、夕方ジムに行く車の中でたまたまかけた講演CDが、タイムリーな警告を提供してくれたりする。
シンクロニシティというかセレンディピティというか、単なる偶然というか(笑)、いずれにせよ不思議なものだ。

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時間管理でいちばん大切なのは、「意味のないプロジェクトにとらわれないこと」です。
ピーター・ドラッガーは言いました。

「もともとすべきでなかったことを、効率よく処理するほど無意味なことはない」

モントゴメリーのバス料金について働きかけなかったからこそ、マーティン・ルーサー・キングだったのです。
黒人の平等という、もっと大きな問題にフォーカスしたからこそ、マーティン・ルーサー・キングたりえたのです。

たしかにバス料金は問題かもしれませんが、それを必死で議論したところで、大した意味は生まれません。

人生をいちばん無駄にする方法は、「良くない人たちと接すること」です。
彼らとどちらが正しいか言い争ったところで、人生の幸せには幸せな人生には何も貢献しません。
極論すると、最後は裁判所で、さらに無駄な時間を浪費することになるだけます。

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…そうね、たしかにね〜。
勝手な思い込みで人を疑う連中と仲良くする努力に、貴重な人生の時間を捧げるのは、愚行としか言いようがない。

たまには講演CDとか聞いて、有意義な生き方を思い出すことも大切だな。

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【「青空」〜ねえ父さん覚えてますか?(2)】 2010年02月10日



2月5日の「青空」〜ねえ父さん覚えてますか?(1)に書いた、柳生伸也さんの歌う「青空」。
よほど有線でのリクエストが多いのだろう、その後立ち寄ったいくつもの店で、「青空」を耳にした。

普通、買物中の店の有線放送で次々と流れる曲は、BGMとして聞き流すものだろう。
ところがこの「青空」という曲は、始まった瞬間にその場の空気が変わってしまうように感じるのだ。
歩いていたらつい立ち止まるし、立っていたらそのまま立ちつくしてしまう。

ちなみに「青空」を初めて耳にしたのは、「BOOK OFF」だった。
人が究極の歌との衝撃の出合いに打ち震えている時に、途中で「いらなくなった本をお売り下さい…」みたいなアナウンスが流れた。
「ちょっと、この曲が終わるまで黙っててください!」と、本当にお願いに走ろうかと思ったほどだ。

先月、引越しの買物で別の店に行った時、またしても「青空」が流れてきた。
「もうダメだ〜!」と思った。
これはなんとしてもCDを手に入れて、毎日聴かないと気が済まない。

そこで「TSUTAYA」に買いに行ったのだが、なんと店頭にはないという。
ワクワクがガッカリに変わって、家に帰ってインターネットで検索。
ところが、Amazonをはじめどこをチェックしても、「現在お取り扱いできません」。

そんなバカな、あれほどリクエストの多いメジャーな曲なのに…と、かなり焦った。
そこで、歌っている柳生伸也さんの公式ホームページにたどり着いて、メールでCDを購入したいことを伝えた。

すぐに丁寧な返事がきて、CDはすでに完売したが、今年の春にはニューバージョンがリリースされるとのことだった。
メールは「柳生伸也です」から始まっていて、「このようなメールをもらうととても励みになる」と書いてあった。

その時点では、私はてっきりスタッフの人が「中元さん」の部分だけ書き換えて、同じ文章を一括送信しているものとばかり思っていた。
実際、似たような問い合わせはいくらでもあるだろうから。

しかし文章がとても誠実な印象だったので、親切な対応へのお礼と、新しいCDが発売されるまで楽しみに待つと返信した。
すると、またすぐに返事がきた。
今度はどう見てもご本人が直接書いているとしか思えず、こちらのことも少し書かせてもらって返したら、またまたすぐに返事が届いた。

でも普通、CDを出しているプロのミュージシャンが、片田舎に住むたった一人のファンのメールに、いちいち返事を書くなんて思わないでしょう?
しかも相手は、私が感動したあの「青空」を歌っている、柳生伸也さん。
実感がないまま、メールのやりとりが続いた。

つづく

【「壁」】 2010年02月09日

人は まったく不可能なことは

「壁」として認識しない

今 思い悩んでいるものは

それを越えようとしているからこそ

「壁」だと感じることができる

目の前に壁が立ちはだかった

そう思った瞬間

その壁の半分は超えている

壁にぶち当たったということは

すでに君の中に

その壁を乗り越える

準備ができたということだから。

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【「実を結ぶ」】 2010年02月08日

bear fruit(実を結ぶ)

bear(辛抱して)、

fruit(結果が出る)。

秋になって実った果実は

強い風や 激しい雨

焼けるような暑さに

耐えてきた過去が

支えている。

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【ちんどん屋デビュー!】 n2010年02月07日



音楽科のサオリが、私の大好きなちんどん屋さん(花ふぶき一座)に弟子入り。
そして今日、あの宮崎県庁の前のイベントでデビュー!
朝早くからテンションの高いおっちゃんから、「サオリー!」と熱い声援?を受けてました。

花ふぶき一座さんは、宮崎では知らない人がいないほど有名なちんどん屋さん。
美人の座長さん(宮田若奈さん)は、テレビ出演や講演会でひっぱりだこの著名人です。
生徒のおかげで、初めて直接話すことができました(カンゲキ!)。

間近で見た座長さんの印象は…。
「やさしくて、たぶん厳しいんだろうけど、やっぱりやさしい人」という感じでした。

向かって右側でポーズをとっている男性座員の方にも、すごく好感が持てました。
自分の役割に徹するというか、カメラを向けた人への心づかいなど、人柄が表れていました。
私も仕事をする上で、見習いたいものです。

ちんどん屋さんって、人の気持ちを明るく元気にしてくれるお仕事でしょう。
それって実は、とても難しいことだと思うんです。
技術はもちろん必要ですが、どうしても人柄やその時の気分が出てしまうから、そのバランスが。

授業でも、教師が楽しんでいないと、生徒も絶対に楽しめない。
日々ネタ探し、テクニック集め、そして自分磨きです。
花ふぶき一座さんとサオリを見て、オレも頑張ろう!という気持ちになりました。

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【「理解する」】 2010年02月06日

understand(理解する)

under(下に)、

stand(立つ)。

人は 「下に立って」はじめて

物事を「理解する」

上から見下ろすだけの人に

悔しさや 悲しさや 弱さを

理解することは難しい

どん底から世の中を眺めるのも

未来の自分を培うための

貴重な肥料となる。

+++++

ウイークリーで教育相談室前に掲示することになった、プチ哲学の詩文集です。
「理解する」はその第一弾、今週の分です。

この3年間は、毎朝恒例の「相談室のことば(葉書詩)」も継続中です。
過去の分は「文武両道」の「言葉」にアップしてあります。

平成19年度1学期分

平成19年度2学期分

平成19年度3学期分

平成20年度1学期分

平成20年度2学期分

平成20年度3学期分

平成21年度1学期分

平成21年度2学期分

今年1月(平成21年度3学期)からの分は、同時進行で「ツイッター」に掲載しています。

bunbuanのツイッター

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【「青空」〜ねえ父さん覚えてますか?(1)】 2010年02月05日



「ねえ父さん覚えてますか? 僕が生まれた日の事」

そんな歌が、立ち寄った書店の有線放送で流れた。
美しいメロディ、透き通った声、ストレートな歌詞。
その瞬間、柳生伸也さんの「青空」は、私が一生忘れられない歌となった。

  ねえ父さん覚えてますか? 僕が生まれた日の事
  まだ生垣が低くて 家が新しかった日の事
  古いアルバムの中 微笑むまだ若かったあなたは
  もう僕ら家族を支えて 暮らしてましたね

  一人きりの部屋 あの頃の幸せな日々思います
  いつか僕もまたあなたのような、父親になれるかな?

  信じた道なら誇らしく歩けと 黙って送り出してくれた
  あなたの背中に 追いつくその日まで
  あなたは僕の青空


それまで目で追っていた本棚、ぼやけて見えはじめた。
最初のラインを聴いただけで、目が潤んできたようだ。
「衝撃の出合い」といっていいほど、「青空」は私の心の琴線に触れた。

歌でも映画でも本でも、心にどのような風が吹くかは、その人のそれまでの人生による。
私は子どもとしては家族に恵まれたが、12年前に夫そして父親として、失格の烙印を押されていた。
そんな私を受け入れてくれたのが一昨年に再婚した妻とその家族であり、一年後に生まれてきた息子だった。

「ねえ父さん覚えてますか? 僕が生まれた日の事」

私は再婚した夏の8月2日に、思わぬ大怪我をして救急車で病院に運ばれた。
幸い一命はとりとめたものの、あまりの痛みにまったく動くことができない。
12年間我慢してきたストレスもあって、心まで動かなくなり、その後数ヶ月間をうつ状態で過ごしていた。

息子は、昨年8月の終わり頃に生まれる予定だった。
しかし、まるで何かの意図があるかのように、私が死にかけた8月2日に生まれてきた。
私はその場で号泣し、命がけで子どもを産んでくれた妻の手に、ずっと握りしめていた結婚指輪をつけた。

  ねえ母さん覚えてますか? 僕を見送った日の事
  まだ冬色の風の吹く 三月の終わり頃でしたね
  『家族で過ごす時間が こんなに短いなんて』
  ぽつりと言ったあなたの 言葉が胸に残ります

  一人暮らす街 この頃は友達も増えてきたけど
  今度また家に帰った時、愚痴なんか聞いてください

  『元気でいますか?』届いた小包から そんな言葉聞こえます
  いつの日か僕が 本当に巣立つまで
  あなたは僕の青空


この歌に心を揺さぶられたのは、私がどのような立場で聴いたからだろうか、と考えてみた。
息子として、自分の両親に対する感謝を代弁してもらったからか。
それとも、まるで自分の息子から言われているような気がしたからなのか。

たぶん、その両方だと思う。
会ったこともないプロのミュージシャンの歌を通して、時間も場所も隔てて共鳴できるとは、なんて素敵なことなんだろう。
一人ひとりは小さな波のような存在で、きっとその下では広い海でつながっているに違いない。

  やがて時が流れたまま生まれ変わるなら
  もう一度 あなた達の家族として生まれたい

  父さんあなたは 僕の進む道を照らすように生きてる
  いつの日か僕が あなたに並ぶまで
  あなたは僕の青空

  母さんあなたは 僕の進む道を照らすように生きてる
  どこまで行っても きっといつの日にも
  あなたは僕の青空


いいことなのかそうでないのか、今の私には人生の「目的」があっても、「目標」はない。
物質的な目標はすでに達成したし、家族のおかげで精神的にも安定して、俗に言う「成功と幸せ」は十分に与えられていると思ってい

る。
欲を言えばキリがないが、「今欲しいものは?」と聞かれても、正直何もない。

「青空」を毎日のように聴きながら、最近私の中に「目標」らしきものが姿を現してきた。
将来、息子(現在6ヶ月)に「青空」を歌ってもらえるような、そんな父親になることだ。
きっと妻もまた、同じ気持ちだと思う。

+++++

■ 追伸1

「青空」のマキシングルは、残念ながら現時点ではすでに完売してしまったらしい。
今年の春に新盤がリリースされる予定ということだが、下のサイトから携帯にダウンロードすることは今すぐにでもできる。
忘れかけていた大切な何かを、きっと思い出させてくれるはずだ。

レコチョク着うたフル

■ 追伸2

次回の「コラム」予告。
この話は、実はこれだけでは終わらない。
「青空」を歌っている柳生伸也さんについて、その後のメールのやりとりを通じて感じたことを書きたいと思う。

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【細マッチョ】 2010年02月04日

今日から、「SHAPE‐UP‐DOJO」でトレーニング開始。
地元テレビでおなじみの、スージーさんこと中筋清人さんの経営するパーソナルジムだ。
正月太りや引越しのドタバタですっかり表情がなくなった体を、早く自己主張する肉体に戻さなければ。

スージーさんには、以前番組の取材で、私が高校で指導しているテコンドー同好会に来てもらったことがある。
「いつかまたお会いしましょう」と話していたのだが、まさか引越し先のこんな近くにジムがあるとは。
車で3分もかからない(笑)。

チョン・ダヨンさんの「モムチャン・ダイエット」で毎日鍛えている妻のリクエストで、今年はいわゆる「細マッチョ」を目指すことにした。
以前通っていたJOY FITで筋肉を大きくしすぎて、脂肪を少しつけたらおやじプロレスラーみたいな体になったから(笑)。
とりあえず夏までに腹筋割るぞ〜。



40歳頃の体をもう一度…!

*****

【ヨメギカイウン】 2010年02月03日

「ヨメギカイウン」って聞いたことがありますか?
感じで書いて「嫁来開運」。
実はこれ、ある英文法の用法を暗記する言葉。

Mr.Yagyu is to visit Miyazaki this summer.
(柳生氏はこの夏に宮崎を訪れる予定である)

この場合の“is to visit”、まとめると<be動詞(am, are, isなど)+to動詞>の意味が「ヨ・メ・ギ・カ・イ・ウン」、
つまり「予定・命令・義務・可能・意図・運命」の6つの意味を表わす用法があるということ。
それを忘れないようにするキーワードが、「嫁来開運」なのだが…。
メンドクセ〜!(笑)。

私の説明は、こうだ。
<toは、「方向」を表わす>
以上。

Mr.Yagyu went to Miyazaki some years ago.
(柳生氏は数年前に宮崎へ行った)

“to Miyazaki”が「宮崎へ」、つまり「→宮崎」でしょ?
「→こっちの方向」へ行く、ということは、ほっといても「予定・命令・義務・可能・意図・運命」になるじゃない!
「暗記」するんじゃないんだよ、英語は「イメージ」なんだから。

「考えるな、感じるんだ!」(by ブルース・リー)

ついでにもう1つ。

「三人称単数現在の動詞には“s”をつける(三単元の“s”)」
メンドクセ〜!(笑)。

私の説明は、こうだ(シツコイ)。
<子どもの頃の“He(She, It) is...”のクセが残ってて、“She likes...”みたいにsをつけないと気持ち悪い>
以上!

文字通り「嫁来開運」した天才英語教師(ウソ)、Jackieナカモトの「ワンポイント英語レッスン」でした。
↑ 実はこれが言いたかっただけかも(笑)。

*****

【ハーフ・バースデイ】 2010年02月02日

今日は息子、一織(いおり)が生まれてちょうど6ヶ月目の日だ。
「ハーフバースデイ」というらしい。
おめでとう、そしてありがとう。

昨夜、一織といっしょに風呂に入っていて、12年前のある夜のことを思い出した。
妻と娘が出て行った独りのマンションが広すぎて、あてもなく近所を散歩していた時のことだ。
ある家のお風呂に明かりがついていて、中から父親と子どもが仲良くはしゃぐ声が聞こえた。

ただでさえ気が滅入っていた私は、その楽しそうな親子の声を聞いて、ますます自分を責めた。
こんな平凡な幸せさえ、おれは守ることができなかったのだと。
うらやましくて、うらやましくて、うらやましくてしょうがなかった。

「いちばん辛かった時期が、いちばんいい思い出になるんだから、頑張れ」

尊敬する武道の師範から言われた言葉が、心のどこかで支えになっていた。
幸せになった今、当時をふり返ってみるが、ぜんぜんいい思い出になってないです、師範(笑)。

一織がキャッキャッと声を上げながら、小さな手でお湯をパシャパシャとたたく。
可愛らしくて思わず笑い声を上げた瞬間、表情と矛盾するように涙が出てきた。
こんな自分でも、あの夜のお風呂の親子みたいになれたのだ。

風呂から上がってくつろいでいると、妻が「シーッ」と唇に人差し指を当てながら手まねきした。
行ってみると、一織がウンウン言いながら寝返りしようとしている。
何度も失敗しながら一生懸命に寝返ろうとする小さな体に、心の中で「頑張れ!」とつぶやいた。

そしてついに、気づかれないように見守る両親の前で、ついに体を返すことができた。
一織、ハーフ・バースデイ・イブに、初の寝返りの成功だ。
また涙が出てきたが、今度は風呂のお湯でごまかせなかった。



妻へ。
一織を生んでくれて、ありがとう。
息子へ。
生まれてきてくれて、ありがとう。

*****

【あの娘は今頃…】 2010年02月01日



昨夜は実家に泊って、昔通勤していた道を運転。
久しぶりの街角を見て、当時のある出来事を思い出した。

あの日の朝、横断歩道の向こうに、小学生の女の子が泣いて座っていた。
ランドセルも路上に転がっていて、何かあったのかと車を停めた。

駐車ランプを点滅させて、女の子と目線の高さを合わせるために、歩道に腰を下ろした。
名札を見ると、離婚で離れて暮らすようになった娘と同じ学年。
他人事とは思えなかった。

「どうしたの?」と話しかけると、さらに泣き声は激しくなる。
通りゆく人たちが、怪訝な表情で私を見ていた。
このシチュエーションでは、どう見ても私が登校中の女の子に車をぶつけたとしか思えないだろう。

「おじちゃんは高校の先生だし、キミと同じ年の娘がいるから、心配しないでいいよ」
そう言って近くのコンビニから小学校に連絡して、手の空いている先生に迎えに来てもらった。

遅刻して職場に着くと、担任の女性教師からお礼の電話が入った。
「困ったもので、あの子はいつもああなんですよ、ご迷惑をかけました」
どうやら家庭的にも恵まれていないらしく、学校でも問題児扱いされている感じを受けた。

今思い返しても、周囲にもあまり理解されていなくて、ちょっとかわいそうな子だった。
今年高校を卒業するくらいの年になっているはずだが、元気かな、幸せになってほしいな。
ひょっとして、ウチの高校の生徒の中にいたりして…。

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