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生目古墳群の被葬者

伝承を含めた系譜(大和王朝との関係)
生目古墳群と大和王朝

1号墳と3号墳の被葬者
<1号墳の被葬者=御刀媛><3号墳の被葬者=豊国別皇子>と考えられます。
柳沢説との整合性
(1).纏向(まきむく)は垂仁.天皇の宮のあった土地ですが、景行天皇についても<・・・則ち更(また)纏向に都つくる。是を日代宮(ひしろのみや)と謂す。>とあり、景行天皇ともゆかりの深い土地となっています。
柳沢説のように纏向にある箸墓古墳と1号墳との間に相似関係が成り立つのなら、景行天皇の妃の古墳としてふさわしいものに思えます。
(2)柳沢説によると、3号墳は行燈塚古墳(崇神陵)と相似関係にあるとのこと。崇神天皇は、御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)ともいわれ、神武天皇とともに大和王朝の始祖的な存在です。
日向の始祖である豊国別皇子の古墳と相似形であっても何ら不思議なことではありません。
畿内の動き
大和朝廷は、第14代仲哀天皇(神功皇后)までを”三輪王朝”、第15代応神天皇以降は”河内王朝”とされ、その性格が大きく異なるといわれています。
北郷泰道氏によると、西都原古墳群の女狭穂塚の被葬者は<髪長媛>であり、男狭穂塚の被葬者は<諸県君牛諸井>であるとされています。
この説に立脚すれば、<三輪王朝→生目古墳群><河内王朝→西都原古墳群>という構図がすっきりと成り立ち、その中間にあるのが”本庄古墳群”ということになるでしょう。
宮永氏系図
宮永氏系図(おそらく旧事紀、天皇本紀にも書かれています。)によると、
<豊国別王ー久邇止美比古(くにとみひこ)命ー老男主男ー牛諸井翁ー髪長媛>
とあるそうです。
髪長媛の出自を天皇家と結び付けるために操作してあるのかもしれませんが、
くにとみひこ→国富町(本庄)><諸県君牛諸井→諸県郡(宮崎の郡部の地名)>
として現在も地名が残り、宮崎ではごく一般的に使われているため、気になる情報です。
ホツマツタエ
江戸時代に神道家によって作成された偽書といわれていますが、神代から景行天皇までが記述されているそうです。ちょうど日向と関係の深い時期のみの記述であるだけに興味を惹かれます。
この書によると、襲武媛と御刀媛が姉妹で、ソヲタケ(曽於国造)の娘であることになっています。
また、日向=宮崎だけでなく、曽於=鹿児島や火国=熊本への広がりをみせています。
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