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生目古墳群と日向系妃の系譜

記紀に基づく日向系妃の系譜
生目古墳群と日向系妃の系譜

宮崎平野の首長墓の変遷
宮崎平野では、4世紀の半ば頃までに何人かの首長があらわれ、大和国家の大王と交渉をもったのではないかと考えられています。
そのことを裏付けるものとして、生目、本庄、西都原等の古墳群の存在があげられます。
生目古墳群や本庄古墳群は遅くとも4世紀頃までには造られ、5世紀にはいると、西都原古墳群の女狭穂塚・男狭穂塚が造られたと考えられます。
日向系妃と記紀の記述
日本書紀には、景行天皇について、日向髪長大田根を妃とし日向襲津彦皇子が生まれたこと、襲武媛を妃とし二人の子が生まれ、その弟豊戸別皇子が火国別の始祖となったこと、熊襲を平定するために九州に入り高屋宮に6年おられたこと、そのとき
御刀媛(みはかしひめ)という美人を妃にされたこと、御刀媛がお生みになった豊国別皇子が日向国造の始祖となったことが書かれています。
また、応神天皇については、日向泉長媛(鹿児島、出水の出身かもしれない)を妃としふたりの皇子が生まれたこと、仁徳天皇については、日向国諸県君牛諸井の娘髪長媛(かみながひめ)を妃とされたことが書かれています。
日向系の妃が次々と登場する記紀の記述は、4〜5世紀頃に、日向の豪族と大和国家の大王との間に、何らかの交流が行われていたことを反映しているのではないかと考えられます。
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