直線上に配置
いのちの形について

ご存知の通り、八紘一宇の塔は戦前の神話でいうところの皇紀2600年(西暦1940年)神州日本の栄華と、世界制覇を正当化して作られた建造物です。
そのイデオロギー性は、このデザインを丁寧に分析すれば明瞭に分かることですが、この塔を平和の塔と呼ぶことに、デザイン界に寓するものとして、私は強い不信感を抱きます。

 何故ならば、この塔のデザインの前面に打ち出されたものが、矛(ほこ)と盾(たて)といういくさの武器であるからです。戦争放棄を謳った日本の平和憲法とこの塔は、まさしく矛盾を露呈しています。
 この塔は、生きた歴史の証言者として、その露骨な醜悪さは別にして、保存されなければならない性(さが)を背負っていますが、この宮崎市の1等地でもある高台に刺さった刺のような痛みを、なんとか和らげたいという想いが私を今まで支配してきました。
 この穏やかな風土の宮崎に、友人を誘い、この地を訪れるたびにますますその想いはつのるばかりでした。
いくさという、本来あってはならないものを謳歌するかのごとき造形に対して、対極にある造形とは、という思念にくれる日々だったように思います。しかし、<死>をシナリオ化した造形に対しては<いのち>の大切さをシナリオ化するものでしかないという結論は、当然のように当初からありました。その形とは、、、、という逡巡のあげく、この形は出てきました。

 モチーフとしては、渚です。いのちを生み出す太古からの舞台、空気と水のふれあう領域生命の母体であるこの地球の海が、陸地に触れる切っ先、渚です。
 宮崎には、世界的にも珍しい波状岩の日南海岸(鬼の洗濯岩、、きわめて神話的な呼称です)があります。それは、単に珍しいというだけではなく、思念の造形、例えば脳の襞のように深く、浅く、無限の可能性を蔵した造形のようでもあります。

 まずは、水面を作ること、人々が水とふれあう場を作ることから始まりました。
そこでは、空気(風)が水と戯れ、細やかな色調を持ったさざ波をたてるでしょう。そして、大小さまざまな波長が生まれ、人々の心の波長と同調して、癒しと潤いを紡ぎだすことが期待されます。 その水面こそがこの建物の基調になりました。そのためにこの建物は地下に潜ります。
<いのち>の回帰点は地下ですが、地下はまた生命の再生の場所でもあるのです。その再生を演出するために音楽もまた必要不可欠です。そこには、小さな音楽ホールが唯一の機能として考えられました。穏やかで充足した生活、その調べが清らかな音階となって、屋根の振動板を通して地上にあふれてきます。その振動板としての屋根は曲面状の鏡ですが、その鏡の意味については、別の機会の語りぐさにしたいと考えます。

        たをやかなる渚翁を歩ましむ     
                       (還暦に、無文(俳号))







トップ アイコン竹の会ホームへもどる
直線上に配置